『大観衆の前で落ちる秋宮四』

 この写真は、平成10年諏訪大社下社御柱祭の山出しのフィナーレ木落しで、秋宮四です。私が撮影した写真です。この日の人出は、約25万人でした。
 「平成10年御柱祭大写真コンクール」で最優秀賞を受賞した写真です。
 応募総数、約1300点の難関を潜り抜けました。
平成16年の御柱祭のポスターになります。主催者の都合でポスターになりませんでした。)


 この画像は、文部科学省国立天文台が2002年に発行した、「スターウィーク2002(8/1〜7)」のポスターです。ポスターの右下の隅に私の名前があります。  私が応募したスターウィークのキャッチコピー「今宵、家族で星空散歩」が採用されました。そのキャッチコピーに合わせて作られたのが、このポスターです。

 このポースターに掲載されている個人名は、私の名前だけです。また、このポスターは、全国に配布されました。


 『氏子の足を轢きながら落ちる春宮一』

 この写真は、平成10年諏訪大社下社御柱祭の山出しのフィナーレ木落しで、春宮一です。私が撮影した写真です。
 「平成10年御柱祭フォトコンテスト下社の部」で入賞した写真です。

 右の写真は、左の写真の中心部を拡大しました。御柱に2人の足が轢かれているのが、見えます。見えている足は、どちらも右足の裏です。


 『ルビー取巻きのダイヤモンドリング』
 この写真は、1995年にタイで見えた皆既日食で第3接食(皆既終了直後)のダイヤモンドリングです。
「1996年原村星祭天体写真コンテスト」で入賞しました。
 このダイヤモンドリングは、皆既が終わった瞬間で、太陽の光球面が月から僅かにはみ出して見えています。月の周りにまだコロナが見えている為、ダイヤモンドの指輪のように見えます。僅か数秒の現象です。ルビーに当たる赤い部分(左の拡大写真)は、紅炎と彩層です。

 写真のデーター
1995年10月24日10時53分45秒(現地時間)露出1/30
6.5cm・500mmセミアポクロマート+テレプラス2倍,直焦点
自作クロスフィルター,高橋製作所 P−2 にて自動ガイド
フジ スーパーG ACE100


 『前宮一木落し』

 この写真は、平成四年諏訪大社上社御柱祭の山出しの見所、木落しで、前宮一です。私が撮影した写真です。
 「平成四年御柱祭大写真コンクール」で入賞した写真です。

 上社の山出し祭は、初日に八ヶ岳から、御柱を引き出してきます。そして、2日目からは、里に出る直前に木落しがあります。下社の木落しに比べると、落とすというより、曳き降ろすといった感じですが、大木が降りて来る様は、壮観です。御柱は、その後、お清めの宮川の川越えをして、山出し祭が終わります。


 『文出御社宮氏社一の柱川越し』

 この写真は、平成四年諏訪市文出御社宮氏社一の柱の川越しです。私が撮影した写真です。
 「平成四年丸光小宮御柱祭写真コンクール」で入選した写真です。

 御柱年は、秋になると、各地の小宮の御柱祭があります。諏訪市の文出地籍の御柱では、河口近くの旧宮川(現在の呼び名は、船渡川)を越します。大社の川越しに比べると見劣りしますが、小宮としては、かなり壮観です。



  『金星食,2003年5月29日』

 この写真は、2003年5月29日に見えた、真昼の金星食です。
 天文ガイド2003年8月号に、私が撮影した写真が掲載されました。左の写真は、147ページの「読者の天体写真月例コンテストのデジタルの部」に掲載されました。この写真は更に、2004年版天文年鑑にも使用されました。6ページの最下部に掲載されています。
この金星食は、2003年5月29日に日本全国で見えました。しかし、金星が太陽から、22゜しか離れていなかった為、金星は、望遠鏡ではよくみえましたが、月は霞んでよくみえませんでした。この写真は、Photoshopで処理してあります。やっとここまで月を出ました。元画像を見ると月がどこにあるか分からない程です。画像にマウスを乗せると元画像が表示されます。処理したときに、周辺減光も強調されています。
 この写真は、「お知らせ」ページの5月30日の「天文情報」に掲載した写真と同じです。今回、天文ガイドに掲載された写真は、上下が逆に印刷されています。また、(評)の欄の日付が5月22日となっていますが、5月29日の間違いです。6.5cm屈折はセミアポクロマートです。
 この写真は、カシオQV−3500EXで撮影しました。


 『読者サロン・Web PR! 私のホームページ』

 この記事は、2003年天文ガイド3月号の166ページに当ホームページが紹介されました。読者サロンの「Web PR ! 私のホームページ」です。
 今までは、なかなか世間の皆様に私のホームページを紹介できる場がなかったのですが、天文ガイドに応募したところ、掲載されることになりました。より多くの方に見て頂ければ幸いです。
 どんな形にしろ、自分の名前が雑誌に紹介されることは嬉しいものです。


 『ふたご座流星群,2002年12月15日』

 この写真は、2002年12月15日に見えた、ふたご座流星群です。
 天文ガイド2003年2月号に私が撮影した写真が掲載されました。左の写真は、121ページの情報BOXのページにふたご座流星群の速報として掲載されました。
2002年のふたご座流星群は、13日の晩と14日の晩の両夜で、数百の流れ星が観測されたようです。当初の予報では、14日の晩にピークがあるようでしたので、私は、14日の晩に挑戦しました。結果は、ご覧のとおり、みごとな流れ星の撮影に成功しました。これで、代表的な天文雑誌3誌全てに私の写真が掲載されました。今の私の気持ちとしては、グランドスラム達成です。
 この写真の流れ星の部分を拡大したカラー写真を『展示室』に展示してあります。(この白黒写真をクリックしても見れます。)
 この写真は、カシオQV−3500EXで撮影しました。


 『土星食,2001年10月8日』

 この写真は、2001年10月8日の朝見えた土星食です。
 月間天文2002年1月号に私が撮影した写真が掲載されました。左の写真は、58ページの物です。その他に、57ページと60ページにも、同じ写真が掲載されました。しかし、賞金又は原稿料や記念品のような物は、いまだ頂いておりません。残念。
右の写真は、その月間天文2002年1月号の表紙です。
 この日、土星食が見えたのは、能登半島と仙台を結ぶ直線より北側の地域でした。私は、その線上に位置する新潟県寺泊の魚市場の駐車場で、撮影していました。当日は、午前1時頃現着し、準備に入りました。現着したときは、快晴でしたが、しだいに雲が増えて来た為、あわてて赤道儀を組み立て、極軸のセッティングが完了した頃には、既に北極星が見えなくなっていました。月は、かろうじて、雲の中にみえていたので、なんとか撮影できました。また、土星食が終わって薄明の中、片付けをし、ふと、上を見上げると何故か快晴になっていました。くやしくてたまりません。
 この写真は、Meadの20cmシュミカセで拡大撮影しました。雲の為、コントラストがかなり落ちています。こんな写真を採用してくれた。月間天文の編集部の方には、心より感謝申し上げます。


 『しし座流星群,2000年11月19日』

 この写真は、2000年11月19日の朝見えたしし座流星群です。
 星ナビ2001年2月号に私が撮影した写真が掲載されました。左の写真が、111ページに掲載されています。
右の写真は、その星ナビ2001年2月号の表紙です。
 この年のしし座流星群は、日本では、期待されていませんでした。予想とおりに出現は、僅かでした。17日の晩は、悪天候の為、見ることもできずにいましたが、18日の晩は、晴れ間が見えたので、あわてて、撮影体制に入りました。標高の高い所を狙い、うまく、雲の上に出ることができました。が、この晩の気温は、なんと氷点下12度。とても寒い夜でした。
 1時間あたりにすると、10数個の流れ星を見ましたが、なかなか、カメラのフレームの中には、飛んでくれません。しかし、まもなく夜明けをむかえる午前5時過ぎ、ついに一筋の閃光が、カメラの前を横切りました。とてもラッキーでした。しかし、この写真ちょっと変です。よく見て下さい。日周運動の中心に北極星がありません。そうです。実は、ガイド不良です。それを知っていながら、採用してくれた、星ナビ編集部の方には、心より感謝申し上げます。


 『わし座新星1999No.2』

 この写真は、1999年12月1日にわし座に発見された新星です。
 スカイウォッチャー2000年4月号に私が撮影した写真が掲載されました。左の写真が、118ページに掲載されています。
右の写真は、そのスカイウォッチャー2000年4月号の表紙です。
 この新星は、最大光度以前に発見された新星で、発見時は6等でしたが、翌日には4等台まで増光しました。2枚並んでいる写真の左は、12月3日に撮影し、右が12月12日に撮影しました。ほぼ真ん中の星が、新星です。日が経つにつれて、暗くなる様子が分かります。12月2日は、雨の為、撮影できなくて残念でした。

 『3D百武彗星』

 この写真は、1996年3月26日に撮影した百武彗星です。
 スカイウォッチャー1996年7月号に私が撮影した写真が掲載されました。左の写真が、108ページに掲載されています。
右の写真は、そのスカイウォッチャー1996年7月号の表紙です。
 この百武彗星は、故・百武裕司氏が、1996年1月31日に発見した2つ目の彗星で、1986年のハレー彗星以来10年ぶりの大彗星となりました。肉眼でも数十度の尾が見え、心に残る彗星の一つとなりました。
 この写真は、地球に大接近した百武彗星が、1日に18度もの猛スピードで移動していた為、2枚の写真は、僅か4分の違いですが、3D撮影に成功しました。右の写真は右目で、左の写真は左目で、(並行法で)見て下さい。百武彗星が、背景の恒星より手前に浮き上がって見えます。レンズは、500mmですが、猛スピードの為、彗星でガイドする必要がありましたが、2軸制御の設備を所有していませんので、極軸を角度で約3度外して、彗星が移動する方向へガイド不良が出るようにしました。

 『1995年タイ皆既日食・ダイヤモンドリング(第2接食)』

 この写真は、1995年10月24日に撮影したダイヤモンドリングです。
 スカイウォッチャー1996年2月号に私が撮影した写真が掲載されました。116ページに掲載されています。
写真の右上は、そのスカイウォッチャー1996年2月号の表紙です。
 この写真は、1995年10月24日にタイで撮影したダイヤモンドリングです。ダイヤモンドの部分を強調する為に自作のクロスフィルターを鏡筒の前に装着しました。クロスフィルターによって、実際の日食で、どの程度の効果がでるかのテスト撮影ができない為、いちかばちかの勝負でした。始めての日食で、もし失敗すると記念になる写真は、残りません。光条が出過ぎたり、ダイヤモンド以外の場所の光条が目立つと失敗です。結果は、光条がやや出すぎの感じもありますが、うまくいったと自負しています。
 この写真は、展示室にも展示してあります。

 『1994年ペルセウス座流星群』

 この写真は、1994年8月13日に撮影したペルセウス座流星群です。
 スカイウォッチャー1994年11月号に私が撮影した写真が掲載されました。11ページに掲載されています。
右の写真は、そのスカイウォッチャー1994年11月号の表紙です。
 この写真は、1994年8月13日に撮影したペルセウス座流星群に属する流れ星です。流れ星の撮影は、どこに流れるか分からない為、カメラの台数が勝負になります。この夜、4台のカメラで、撮影していました。
 説明文の最後に「(2等級)」と表示されていますが、「(−2等級)」です。


 『北極星』

 この写真は、1992年12月27日に撮影した北極星です。
 スカイウォッチャー1993年7月号に私が撮影した写真が掲載されました。124ページに掲載されています。
右の写真は、そのスカイウォッチャー1993年7月号の表紙です。
 この写真は、1992年12月27日に撮影した北極星の写真です。12時間40分の長時間露出に挑戦しました。シャッターを開いたときは、まだ空が明るく北極星を肉眼で確認できない状態です。又、シャッターを閉じるときも、既に空は明るくやはり肉眼では北極星を確認できませんでした。この写真は、空の明るさが写り込まないように、200mm,F2.8のレンズにテレプラス2×を組み合わせました。シャッターを開く段階で、ファインダーの中で北極星を確認できない為、数日前から、カメラは、セットしたままにしてありました。
 この写真は、私が何回か応募した内、始めて採用された写真です。その写真は、「PhotoContest」のトップページを飾り、なおかつ、このページが、私だけのページとなったことに驚きつつ、最高の喜びでした。


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