我々が走るのはパキスタンと中国が
合弁事業で開発したカラコルム・ハイ
ウエイなのですが、到るところ崖崩れ
が発生するのです。崖崩れが発生する
と、一週間も二週間も交通が途絶する
のだそうです。

シャティアールの岩絵。描かれている
のは風鐸が沢山取り付けられ、頂から
幡(ばん)をたなびかせたストゥーパ。
左側に仏像。

紀元2世紀から6世紀までの間に佛教
巡礼者が印したものだろう。きっとこ
のあたりのどこかに巡礼地があったに
違いない。

その当時は見事な宗教建造物があった
のだ。

 まだ夏の終わりで暑いというのにホテル
の冷房装置は壊れていて、天井の換気扇が
ゆっくり回るのを汗をかきながら見つめる
のです。私はこの一晩で体調をくずしまし
た。下痢が始まりました。夏風邪の徴候も
あります。あわてて正露丸を呑み、二日間
絶食しました。

地図:©西遊旅行  (クリックすると拡大図

カラコルム・ハイウエイ(1)

                         2007/09/16~18

傍梯

 右図の如く石に穴を穿って
横木をさしこみ、断崖を渡れ
るようにしたもの。

見上げると高い山という感じ
ではない。巨大な山塊に押し
つぶされそうなおおげさな質
感がある。

懸度

 山なみに従って西南方に十五日進んだ。
その道は険阻で断崖絶壁ばかり。その山は
石ばかりで壁の如く千仭(せんじん)の谷
をなし、見下すと目がくらむほどで、進も
うと思っても足をふむ処もない。眼下に川
が流れ、インダス川
<新頭河>という。[こ
こには]昔の人が石を刻んで道を作り、傍
梯を作ってある。およそ渡ること七百[箇
所]、[傍]梯(はしご)を渡り、吊橋を踏
んで河を渡った。河の両岸の距離は八十歩
たらずである。[この辺りは]まさに九訳の
絶する処であり、漢の張騫(ちょうけん)
や甘英(かんえい)もみな至らなかったと
ころである。

長沢和俊『法顕伝・宋雲行紀』
(東洋文庫
194)平凡社 1971

昔からの旧道。カラコルム・ハイウエイ
ができてからは通行不能になっているら
しい。

 簡単に説明しましたから、安易な旅
だと思われるでしょうが、フンザのカ
リマバードに到着するのは大変。タキ
シラを出発してから三日間、毎日

500km、十時間づつバスに揺られつづ
けるのです。便所もないところが多く
て、野糞を垂れるのです。二日間絶食
して下痢を退治したのは正解でした。


 では、皆様御機嫌よう。

『法顕伝』は次のように述べる。


 葱嶺を渡り終われば、そこは北インドである。始めてその境に入ると、一小国があり、陁歴(たれき)という。ここもまた多くの僧がおり、みな小乗学である。この国にむかし羅漢がいた。
[彼は]神足力をもって一人の巧匠をつれ、兜術(とじゅつ)天に上(のぼ)って弥勒菩薩のの身の丈や色貌見せて還り下り、木を刻んでその像を作らせた。

[そのために]前後三回[兜術天に]上って観(み)させ、このようにして後、ようやく像が出来上がった。[その像は]長さ八丈、趺座の足の長さ八尺あり、斎日には常に光明がある。諸国の王はきそって供養を盛んにした。[この像は]いまなおここに現存している。
      長沢和俊『法顕伝・宋雲行紀』(東洋文庫194)平凡社 1971

インダス河は常にこのような泥色をしてい
る。

場所はKotgala

日本の援助で架けられた友好の橋。青い水
が流れてくる川を遡ると
Darrelという地域
なのだと案内人はいう。法顕と玄奘三蔵が
記述した木彫の弥勒菩薩はここから入った
谷のどこかに在ったのだろうか。

Map Karakoram Highway

カリマバードからフンザ川を隔ててラカ
ポシ
(7,788m)を望む。


上の写真だけではこの地域の巨大さがわ
かりません。上の写真の左側下部だけを
拡大してみました。この地帯の渓谷の巨
大さが実感できるでしょうか?

 第一日目はタキシラからべシャムまで500km
道のりを小型バスに乗り、時速
50kmでゆっくりと
走り続けた。走行時間なんと
10時間。ここから引
き返そうにもまた
10時間かかるのだ。腰が抜けま
すよね。まわりには空港もありません。あるのは
インダス河の深い渓谷とはるか谷底に見える灰色
の濁った激流ばかりなのです。

 私たちと同年代で、しかも中国知識界を震撼させた法顕に
たいする私の憧れは強かった。

 ところが、タリバン問題でユーラシア旅行社がパミール越
えパキスタン旅行を中止し、私も一旦旅行をあきらめた。

 ところがどうだ、しぶとくも、西遊旅行という会社が逆コ
ースで遊覧旅行を継続しているのを知って、これに乗ること
にした。

 法顕とは逆ルートになるのだが、南から北へインダス川、
ギルギット川、フンザ川を遡ることにしたのだ。

GilgitSerena Hotelで昼食を摂
ったが、とても素敵なホテルだ
った。こういうホテルに泊らせ
てくれたら嬉しかったのに。

現地旅行社の案内人の説明によると、
Darrel
というのは、地図でKotgalaから
Karang
に抜けるKundia川の谷間のこと
を指す、というのだ。法顕の時代には
カラコルム・ハイウエイがなかったか
ら、
KotgalaからBeshamまでは山中を
歩いたのかも知れない。

 結局、私たちの旅行が日本からの
本年の最終旅行となった。その後ム
シャラフ大統領は非常事態宣言を発
令し、
(113)、戒厳令を敷いてし
まったから、パキスタンへの旅行そ
のものもいまや「おっかない」事態
になった。

 思い立った発端は、法顕のなめた
辛酸をなぞる旅をしようと燃え立っ
たのだが、現実はあまりに厳しかっ
た。旅は私が空想していたよりもは
るかに辛かった。

タキシラ郊外の道。このあた
りの風景は落ち着いている。

HinoDiesel Truckにこってりと念入り
に装飾を施した輸送車は、一面の灰色の
世界のなかでは非現実感がある。

(西遊旅行 高野美代子様撮影)

 これから数日、毎日500km10時間
かけて崖に切り込まれた砂利のがたが
た道を走り続けるのです。逃げ道は絶
対ありません。ひたすら辛抱するので
す。

老女がインダス川でなにをして
いるか、というと、砂金を採っ
ているのです。一攫千金を狙っ
ているのでしょうか。この老女
は砂金が川のどこに堆積するの
か経験で知っているのでしょう。