同じくラホール博物館にある、Shahbaz
Garhi
出土、鍍金された仏陀頭部。

 安心しました。やはりガンダーラの仏像は
鍍金されていたのです。

 ガンダーラで仏像が作られ始めたのが一世
紀末から二世紀半ば。

 同じ頃、パキスタン南部のハイデラバード
の東
70kmにすんでいた竜樹が『大智度論』
仏の身体的特徴としての三十二相八十種好を
記述しました。
32相の第十四番目が身金色相
となっています。

 すなわち、竜樹が記述した通り、仏像成立
当初、仏像はすべて金色に光り輝いていた、

と考えなければなりません。

 この歴史的事実があるからこそ、奈良の東大寺の大仏は鍍金されたのです。

 それにしても、ペシャーワルとスワート
を訪問できないのは残念だ、とこぼしたら、
地の旅行会社の通訳が曰く。
 「簡単なことですよ。タリバンの国に入
るにはタリバンの案内人を雇えばよいので
す。」
 「三日前にアメリカ人を案内してペシャ
ーワルからカブールまで無事に送り届けま
た。」
 「ただし、条件があって、服装をタリバ
ン服とすること。ジープ一台にのるので、
一組
二人を限度とすること。」
 「ペシャーワル、スワート、カラーシャ
地方、カイバル峠、カブール、等どこでも
引き
受けますよ。」
だと。

 「やってみる?」


では皆様、ご機嫌よう。

 しばらくお休みしていましたが、サボっていた
というわけではありません。

 上野照夫先生生誕百年記念会が開かれる、こと
も一因となったのですが、パキスタンの
タキシラ
へ行ってきました。


 発端はこの写真なのです。


 この写真が『ガンダーラ美術の見方』(奈良康
明監修、山田樹人著、高倉一太写真、
株式会社里
文出版、
H11)に載っていたのです。明らかに
古物商が作った本なのですが、
このガンダーラ仏
像には金箔が使われています。こうなると捨てて
は置けません。金箔屋
の息子として生まれた私は、
こと金箔となると、血が騒ぐのです。これは調べ
なければな
らない、と必要のない義務感に燃えて
しまうのです。

 これはタキシラのシルカップ遺跡にあるス
ツーパの基壇です。四角い基壇が成立しまし
た。左がギリシャ、中がペルシャの双頭の鷲、
右がインド様式の彫刻で、この土地が文化

交流点であったことが理解できるのです。

写真: タキシラ博物館

 もともとこの旅行にはカイバル峠、ペシャーワル、スワー
トなどのガンダーラ美術の拠
点が含まれていたのですが、こ
のご時勢ですべてキャンセルになってしまい、訪ねること

できたのは、ラホールの博物館とタキシラだけという無残な
ガンダーラ見物になってし
まいました。

Lahole & Taxila

                   2007/09/15 & 16

 タキシラ博物館にある最も初期の頃の仏陀の鍍金像です。

 明らかに金箔が貼り付けてあります。漆を使用したのか、天然ゴ
ムのような接着剤を使用したものか、わかりません。調べる必要が
あります。

 ちなみに、『漢書』罽賓(けいひん、と読む)傳に「罽賓地平温和、
有目宿雑草奇木檀櫰梓竹漆、種五穀蒲陶諸果、・・・」という記載
があります。      
(『西域史研究 上』白鳥庫吉 岩波書店 1981 P296

 とはいえ、この地区は危険きわまりない
場所で、
2001911日ニューヨークでの
Twin Towers200577日ロンドンでの
自爆テロ事件などの主犯者たち、いわゆる

Taliban(「コーランを読む人」の意)を養
成している場所なのです。

 昔は、アフガニスタンからの難民がTaliban
になったのですが、最近はパキスタン国内
の神学校がすべてタリバン養成学校である
とみなされるようになりました。
9月はじめ
には
首都の神学校に立て籠もる宗教指導者
を、パキスタン軍が約
100名射殺する事件に
まで発
展してしまう有様。



写真出典:
http://www.flickr.com/photos/wallyg/
159455100/

出典: http://www.interet-general.info/article.php3?id_article=2570

 アフガニスタンで捕まったタリバンのひとり。この
写真の直後に射殺されたようです。
詳しくは上の記事
を読んでくださいな。

 最近の韓国のキリスト教団体拉致事件もあって、当
地は、世界のテロリストの拡散源と
なってしまったよ
うです。

 (これらの問題につき、どこをどう考えたらいいの
かわからない方には、
Frederick Forsyth “The Afghan”
Corgi Books 2007
をお読みになられるようお勧めしま
す。民主主
義国の考え方が筋道立てて詳しく説明され
ています。)

 タキシラという街は紀元前5世紀ダリウス大王
の時代に出現し、紀元前
4世紀アレキサンダー大
王が支配するところとなり、仏像が成立したのは、
中央アジア系クシャーン朝の
時代です。法顕の訪
問した西暦
402年の頃には咀尸始羅(タキシラ)
国として存在し、『法
顕伝』にも記載されている
のですが、
5世紀にフン族によって滅ぼされ、玄
奘三蔵が
635年ころ訪ねたときは跡形もなくなっ
ていました。

 そしておそくとも8世紀にはモスレム化したら
しいので、仏像成立当時は確かに存在し
たに違い
ない金箔の製造技術も貼付技術も一切合財消えて
なくなってしまったのです。残
念なことです。

 ラホール博物館。

  The Miracle of Sravasti
という物語。Sravastiという森に
苦行僧がい
て、ブッダのことをあざ笑った。Sravasti地区
を治める
Paranjit王が二人を呼んで対決させたのだが・・・
というお話。それにしても素晴らしく美しい彫刻ですね。

 とはいえ、街は平穏そのものなのですが、
わたしたちには馬車に乗っている人のうち、

誰がタリバンで、誰がタリバンでないのかわ
からない不気味さがあります。