I s r a e l (2)

            2007/03/23〜30

 ホテルには死海の死ぬほど塩辛い塩水を満たしたプールがあります。なにもしないのにポッカリと体は浮きます。下手に泳ごうとして手で漕いだりすると、溺れます。じっとしているのです。なにもしてはいけないのです。海抜マイナス400メートルのエン・ボケックとはそもそもそういう場所だったのです。

 ホテルに帰ってきたら添乗員のお
嬢さんが喰ってかかりました。お返
しに「本当はあな
ただって行きたか
ったのでしょう。そうでしょう?」
と詰め寄ったら、死ぬほど怖い目で

睨まれました。怖いことのダブルパ
ンチでした。

 このゲットーの入り口には機関
銃を構えたイスラエル兵が詰めか
けていますから、怖く
て写真も撮
れません。

(国道90号線のチェックポイントに展開しているイ
スラエル兵)

 そもそもどうしてこうなったのかというと、も
ともとこの地区はヨルダン領でパレスチ
ナ人とア
ラブ人とベドウィンが住んでいたのを、
1967年第
三次中東戦争でイスラエルが占
領した非合法占領
地帯なのです。いわゆるヨルダン川西岸地帯。占
領地帯のうち
40%だけパレスチナ人に返還したの
ですが、返還した土地をコンクリート塀で囲った
のでした。

 国境とゲットーとはどう違うの
かも理解できました。国境は検問
所が境界を挟んで二箇
所あり、こ
ちらの国とあちらの国です。ゲッ
トーの入り口は、それとは違い、
こちら側だ
けに銃を抱えた兵士が
いるのです。高い塀には要所要所
に監視塔が立っていて自治区側を
監視しています。刑務所と同じで
す。刑務所のなかに入っていく要
領です。

 ユダヤ側から見ると「向こうに入
るは楽だが、出るのは怖い」のです。
ゲットーを出る
ときは車の下は鏡で
検査され、車の中やトランクは警察
犬が徹底的に爆発物の検査をする

です。昔のベルリンのチャーリー・
ポイントを彷彿させる光景でした。

 感想はどうだって?

 大変でしたよ。ベツレヘムはイエ
ルサレムのすぐ近く、
10km南だとい
うのにパレスチナ
自治区で、パレス
チナ自治区は高さ
6メートルのコンク
リート塀に囲まれ、まるでむかし

ハンブルクのゲットーに入るような
按配です。ユダヤ人はいまや自国の
なかにパレスチ
ナ人を押し込むため
のゲットーを建設中なのです。

(聖誕教会。奥の左手がカトリック、正面がギリシャ正教、右側が
アルメニア教会。)

 片道1時間半。往復3時間でタク
シー料金が
US$200でした。イスラ
エルという国はそ
もそもが四国の
大きさしかないから、どこへでも
車ですぐ行けてしまうのだ。

 どうしたかって?

 どうもしませんよ。私は、外務
省危険情報を読みぬき、国道
90
線、イエルサレム
/ジェリコ、イ
エルサレム
/ベツレヘムの三国道
には安全宣言がでていることを旅
行社に知らせ、
外務省危険情報に
抵触しないでベツレヘムまで旅行
できることを立証し、かつ旅行社
が要
求した自己危険負担宣言書に
署名して、やっとタクシーをハイ
ヤーすることができました。

 「しかし、この日の午後は自由時間
でなにをしてもいい、という建前なの
だから、あな
たたちは泥パックをせよ、
わたしは勝手に行く」とつっぱねたの
ですが、敵も簡単には降
りません。

 この宣言で旅行社が腰を抜かした。一同をベツレヘムへ連れていかないことには深―いわけがあったのです。早速に大騒ぎが始まり、添乗員は日本へ国際電話をかけて、事態の収拾策を練るは、現地エージェントであるユダヤ人は「僕たちユダヤ人はベツレヘムに入れないから逃げるよ」と逆切れするは、事情通は日本の外務省の危険情報をこれみよがしに持ち出すは、まるで蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。ま、一般的な反応は「ベツレヘムは初めから予定に入っていなかったのだから、それを承知で参加したはずなのに、いまさらいちゃもんをつけるX男が憎い」というものでした。

 まさか女ではあるまいし、泥パックなんか
して
6時間も時間が潰せるかい、と私は憤り、
決然として宣言をした。「このパック旅行は
キリストの死の場所(イエルサレム)には連
ていってくれるが、キリスト様のお生まれ
になった場所には連れて行ってくれない。こ
では聖地巡礼にはなりえない。私はベツレ
ヘムへ行く。断固として行く。タクシーで行
く。
ひとりで行く。」と宣言したのでした。

 午前中は近所のマサダという要塞
跡の見物をしたのですが、午後は自
由時間だというの
です。「なにをせ
よ」というのかと調べると、死海で
浮かび、写真を撮れ、そのあと死海
底から掬ってきた泥を塗りたくって泥
パックをせよ、と書いてある。

 問題が起こったのは、というより
も私が問題をおこしたのは、
4日目、
死海のほとり、エ
ン・ボケックとい
う療養地だったのです。

 緑はないのに、スモッグが無
いせいか、遠くまで見渡せる澄
明な美しさがある。 


 では皆様、ご機嫌よう。

(聖誕教会のカトリック教会の地下に聖書のラテン語翻訳家として
働いた聖ヒエロニム
スの仕事場が残っている。ヘブライ語の通訳と
して
Osapiusが働いた。翻訳にはコンスタンティヌス大帝の意向が
反映され、キリストの真の意図は無視されたきらいがある)

(通りの方向を無視して突然コンクリートの壁が現われる。監視塔にも注目。)

(ベツレヘム。ダビデがイスラエルの王となった街。ヨセフもダビデ家に属して
いたからこれから生まれるイエス・キリストをダビデ家に登録するためにマリア
ともどもナザレから旅行してきたのだ。ギリシャ正教の聖誕教会への入り口は十
字軍時代にふさがれて、いまやちいさな穴になってしまった。)

(クムランの洞窟。1947年旧約を含む死海写本が発見された。)

(イェルサレム、岩のドーム。トルコ石を粉砕して作成したタイルが美しい。
ここが地球のへそなのだ。ムハンマドはメッカから天馬に乗ってやってきて、
へそ岩の上から七天を突き抜けて、~の所在地へ登った。ロケットの発射基地
にも似たような場所。
The Isla

(死海の浮遊体験。海水はどんよりとして重い。)

(マサダの北の宮殿。難攻不落の要塞をヘロデ王が
  作ってしまった。イエス・キリスト
存命中の出来事)

(ユダの花。花すおう(蘇芳)。木全体がピンク色になる)

(ベツレヘム市内。乱雑で雑然としている。)

(ところが突然、マリアは産気づいてしまった。イエスを産み落とし
たのが、この星マークの場所)

(クムランの洞窟を見下ろすファッショナブルな美女ふたり)