南 京 金 陵 金 箔 の 歴 史

           1955年まで 問屋制家内工業としての金箔製造業が存在。              殷(インと読む)、培(ペイと読む)の二大ファミ
       リーが実権を握っていた。

           1955年   国営会社南京金陵金箔が設立された。

           1966-77年   文化大革命が始まり、金箔は生産禁止品目と              なる。若い学生たちが寺院を破壊した。

           1979    開放改革路線が採択され、国内生産が再開さ               れた。香港向け輸出商い始まる。

           1994年   製品が初めて日本ならびにイタリーに輸出された。

           2002年   そして、同社の生産規模は急成長し、                    金箔の生産は年間2億枚。従業員数は600名。
       箔移しの女子工員は400名、箔打ち職人は40名。
       原料の金の消費量は年間1.5トン 。 

画題:
金陵金箔股肦有限公司のbrochureから複写。
金箔製造時の箔移しの光景なのだが、日本のそれと大
差はない。中国は立ち机で作業を行い、日本では坐り
机で作業を行う、の差があるくらいだ。

 この年表中で注目すべきは、1994年である。

 私の調査した資料によれば、この時点で金沢市の金箔製造技術なら
びに機械類のノーハウが中国側に移転された。

 技術移転は台湾経由であったから、(台湾の華僑経由だったから)、
技術移転に伴う製品の独占的販売権の取得についてはうやむやとなり、
台湾の華僑のみが漁夫の利を得た結果となった。

 つまり、この技術移転は日本側になんらの経済的利益をも落さなか
ったのである。利益を落すどころか、金沢市の製箔業は、この技術移
転による金箔価格の低落により壊滅的な打撃をこうむった。

 誰が何のために何を目的として技術移転を行ったのか、その技術移
転について、はたして金沢市の金箔業者のアグレマンを取得していた
のか、という問題が残っている。

 南京金陵金箔は現在のところ世界一の規模の
金箔製造メーカーであるが、その歴史は浅い。


 中国の金箔業は歴史的に金沢市と同じ問屋制
家内工業でやってきたのだが、
1955年にこの体
制が覆されて企業形態が国営になった。これが
南京金陵金箔である。(この際すべての問屋が
国営会社に吸収合併されたのではなく、一部の
企業は小さい規模のまま私企業として残った。
だから、いまだに小さい金箔屋が南京に残って
いる。)

 そもそもは中国の国営企業として創業したの
だが、文化大革命の際に壊滅的な打撃を受け、
しかもその後、国営企業として大成功したとい
うユニークな会社であるので、その歴史を調べ
ておこう。