三枝『中論』メモ(1)

『龍樹・親鸞ノート』三枝充悳、宝蔵館 1997 から要点を抜き出して、メモしていくことにしよう。なお、筆者のメモは大雑把なので、必ず原本をお読みいただいて、各項の内容を再確認いただくよう、お願いいたします。

1. 龍樹の論理
 山内得立『ロゴスとレンマ』岩波書店 1986という本がある。

 山内得立は、

              カント  ・・・・・「同一律」を破った哲学者
              ヘーゲル ・・・・・「矛盾律」を破った哲学者
              龍樹   ・・・・・「排中律」を破った哲学者

であると規定した。ここに、

              「同一律」・・・・・AAである。(という論理)
              「矛盾律」・・・・・Aは非A(ノンA)ではない。(という論理)
              「排中律」・・・・・「同一律」と「矛盾律」を統合したもの。
               ABであると同時に非Bであるということは
                              できない。
(という論理)

2. 龍樹の名前と人(P11

              龍樹 = ナーガールジュナ = ナーガ + アルジュナ
                 = 龍猛 あるいは、龍勝
              「ナーガ」とは、サンスクリット語で、「龍」あるいは「象」
              「アルジュナ」とは、サンスクリット語で、「勇士」。音写して「樹」。

 シャンカラと同じく、南インドの出身で、活躍年代は紀元150-250年。


3. 仏教の諸経典の成立(P16

 初期の大乗経典である般若経、法華経、浄土三部経、華厳経、いずれも原型の
できたのは、紀元前後頃、ないしはその少しあと。



4. 八不 (P24

 鳩摩羅什の漢記本『中論』の冒頭に

              不生亦(やく)不滅、不常亦不断、不一亦不異、不来亦不出。
              能く是の因縁を説き、善く諸(もろもろ)の戯論を滅したまう。
              我れ稽首して仏に礼す、諸説中第一なりと。

とある。この一行目は、次のように読む。

              生ずるということもない、滅するということもない。
              常ということもない、断ということもない。
              一ということもない、異ということもない。
              来ということもない、出(去)ということもない。

 これを次のように理解すればよい。

               「一ということもない、異ということもない」・・というのは「排
     中律」にかか
わる。
               一でないならば、異のはずです。異でないならば、一のはずです。
               これはほかのものについてもいえます。
               この「生と滅」・「常と断」・「一と異」・「来と去」という(お
     互いに)矛盾する
それぞれのものを両方とも否定してしまいます。
               ふつうの論理では、不生といえば滅のはずです。不断といえば常の
         はず、不一
といえば異のはずで、不異といえば一のはずですけれども、
         それぞれについてそ
の両方とも否定してしまうという点が、いわば
        「排中律」を否定するということ

               これが有名な「八不」といわれるものです。