つまり、中村元が説くところ建国者聖徳太子の偉大さ
は、


 「聖徳太子は、諸部族対立の時代を乗り越え、仏教と
いう新しい指導理念を用いて、日本国を支配統治し、王
朝の基礎を確立した。そしてその指導理念を憲法十七条
という確定した文章表現で一般の人びとに向かって表現
した。」


ということだ、と述べているのである。

 中村の「聖徳太子=建国者」という断定が正しいとす
ると、われわれの疑問は当然、次の三点に集約されるこ
とになる。


1.      仏教という指導理念の核心はなにか。

2.      その指導理念と聖徳太子の説かれた「和」の関連
性はどうなっているのか。

3.      さらに、「和」は一言にして、釈迦の思想を体現
していると断言できるのか。

 これらの諸問題をこれから注意深く、吟味することと
しよう。


 まず手始めに、仏教とはなにか、という問題にとりか
かろう。

 こういう思想的現象は、古代諸国において一定の時期に起こったことが
認められる。東洋ではまず古くインドで、アショーカ王(紀元前三世紀)
が現われてその範型を示している。つづいて、日本では聖徳太子、チベッ
トではソンツェンガンポ王
(617~651)によってそれぞれの国家ならびに文化
の基礎が固められた。南アジアではさらに遅れて現われ、ビルマではアナ
ウラーター王
(1010年即位)、カンボージァではジャヤヴァルマン七世
(1181〜1215)が同じ類型に属する(シァムにはこういう類型の帝王が見当た
らない。シァムの仏教はカンボージァを経て
422年にシァムに入って来たが
、ひとりでに入って来たので、とくに特別の帝王の力を借りたのではない
らしい)。


 ・・・・・・シナでは梁の武帝や、あるいはむしろ隋の文帝(581〜604
統治
)がそれに当たるのではなかろうか、と考えられる。とくに隋の文帝は
排仏と戦乱のあとをうけて、シナ全体を統一しシナ仏教全盛時代の端緒を
開いたのであるから、やはり右の諸王と対比することができるであろう。
隋の文帝はみずから「転輪聖王(てんりんじょうおう)」と称していた。

聖 徳 太 子 2

写真:
   法隆寺金堂釈迦三尊像 
     623年造立、飛鳥時代
   像高は中尊86.4cm
     
右脇侍92.4cm
      
左脇侍90.7cm
   銅造。
   光背、台座とも造立時のもの。
   天蓋は670年以降の飛鳥時代に製作された。
    釈迦三尊像の両脇に安置されているのは、
    毘沙門天・吉祥天(きっしょうてん)像
       『サライ』2005 1020日号、小学館
   

 さて、聖徳太子のお姿を拝見しておこう。

写真:
  聖徳太子像 (御物 宮内庁)
  『奈良仏教』
   図説 日本の仏教 第一巻 奈良仏教
   平田寛(ゆたか)
  新潮社 1989
    P40

   王子の髪型はみずら。

   みずら づら 【〈角髪〉/〈角子〉//髻】
        (大辞林 第二版)

  〔「みみつら(耳鬘)」の転といわれる〕
     上代の男子の髪の結い方の一。頭頂で左右に分け、
     それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方。
     びずら。びんずら。

              (日本古典文学大系68 坂本太郎ほか
              『日本書紀』下 巻第二十 

                             
岩波書店 昭和40年 P162)

写真:
      
石造弥勒菩薩交脚像
       ペシャワール出土
      (東京国立博物館)
      『奈良仏教』
        図説 日本の仏教 
   第一巻 奈良仏教

        平田寛(ゆたか)
        新潮社 1989
        P47

 中村元は、その書物『日本の名著2 聖徳太子』中央公論社 1970 P37の中
で、聖徳太子の世界思想史的意義を次のように説く。

 実際上の建国者である聖徳太子のもっている世界史的意義
というものは、この狭い日本の島国において、一つの統一国
家を建設した、そして、それが普遍的な宗教によって基礎づ
けられて、普遍的国家として形成されたということである。


 ここで普遍的国家というのは、民族の差違、時代の差違を
超えて実現されるべき普遍的理法の存在することを確信して
いた帝王の建設した国家をいう。それは世界のいろいろな文
化圏において歴史上の一定の時期に成立したものである。す
なわち、古代において、一つの文化圏におけるもろもろの部
族の政治的軍事的対立の状態が打ち破られて、その文化圏の
政治的統一が確立された場合に、その文化圏における普遍的
国家というものが成立した。そうして、それらの文化圏にお
いては、次のことがらが起こった。

1.       その文化圏全体を支配統治する一つの強大な国王(ま
たは統治者)が出現し、かれの属する王朝の基礎が
確立する。

2.       精神的な面においては、諸部族対立の時代には見られ
ない新しい指導理念が必要とされる。

3.       その指導理念を、あるいはその指導理念の精神的な
基調を、なんらかの普遍的な世界宗教が提供する。

4.       その指導理念は、確定された文章表現(たとえば詔
勅のかたちで、公(おおやけ)に一般の人びとに向
かって表現される。