真実在の根本的方式

写真:

三人倒立雑技俑 後漢(紀元25220年)

1972年に洛陽澗西七里河の漢墓から出土

高さ24センチ

『洛陽文物精粋』王綉等編 鄭州 河南美術出版社 2001.4

三人の雑技俑が蹄形の三足の酒樽に倒立している。二人は手を樽の縁に押し付けてさかさまになり、一足が上に曲がっており、一足が弧状に曲がっている。もう一人は前の二人の足を掴んで倒立している。灰色の陶土に白彩を施し、赤色の加彩で飾る。


後漢の時代にも中国の特技である雑技が存在した。

酒樽の縁に相対して倒立する二人は、「実在」と「矛盾」である。


この二人がいるからこそ、「真の実在」は両者の上に倒立できる。 
「実在」には一つの体系があるから、これは実在である。
しかし、「矛盾」には一つの体系がないから、これは実在ではなく、夢にすぎない、
と幾多郎は述べる。

正体のわからない、夢にすぎない「矛盾」を基礎として、三人目の「真の実在」が現実に倒立できるわけがない。

矛盾の内容を調べ、本質を解明したのちに、「真の実在」を構築すべきである。

第五章 真実在の根本的方式

我々の経験する所の事実は種々あるようである
が、少しく考えて見ると皆同一の実在であって、同一の方式に由って成り立っているのである。・・・・・

 先ず凡ての実在の背後には統一的或者の働きおることを認めねばならぬ。・・・・・色が赤のみであったならば赤という色は現われようがない、赤が現われるには赤ならざる色がなければならぬ、而して一の性質が他の性質と比較し区別せらるるには、両性質はその根柢において同一でなければならぬ、全く類を異にしその間に何らの共通なる点をもたぬ者は比較し区別することができぬ。かくの如く凡て物は対立に由って成立するというならば、その根柢には必ず統一的或者が潜んでいるのである。
 ・・・・・・・
 実在の成立には、右にいったようにその根柢に
おいて統一というものが必要であると共に、相互の反対むしろ矛盾ということが必要である。・・・・・・この矛盾が消滅すると共に実在も消え失せてしまう。元来この矛盾と統一とは同一の事柄を両方面より見たものにすぎない、統一があるから矛盾があり、矛盾があるから統一がある。

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 そこで実在の根本的方式は一なると共に多、多
なると共に一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具するのである。而してこの二方面は離すことのできないものであるから、つまり一つの者の自家発展ということができる。独立自全の真実在はいつでもこの方式を具えている、しからざる者は皆我々の抽象的概念である。

実在は自分にて一の体系をなした者である。我
々をして確実なる実在と信ぜしむる者はこの性質に由るのである。これに反し体系を成さぬ事柄はたとえば夢の如くこれを実在とは信ぜぬのである。

 ・・・・・・・
                 (『善の研究』岩波文庫)

 幾多郎は、

 第一章において、疑うにも疑いようのない直接の知識は意
         識現象である。

 第二章において、直接経験という意識現象が唯一の実在で
         ある。

 第三章において、美妙なる音楽、忘我の境地、嚠喨たる一
         楽声が実在の真景である。

 第四章において、真の実在の形式は、まず全体が含蓄的、内
         容が分化発展すると、実在の全体が実現
         する。

と、一本調子のストレートで説き進んできたものを、この第五章において突然論理の構成を変える。

 実在の成立には、統一(力)が必要条件であると幾多郎は主張する。統一(力)がなければ真実在は現前しない。また矛盾も必要条件である、と述べる。矛盾がなければ真実在は現前しない。すなわち、統一と矛盾は同格で、互いの裏表にすぎないとする。

 突然、ここで「矛盾」という概念がとびだしてくる。どのような意味と内容で幾多郎は矛盾という概念をここで導入したのであろうか。通常のわれわれの意識には独立自在の真実在の内容と異なる意識が存在することを認めるが、そういう矛盾があるからこそ真実在は実在となり得る・・・・といいたいのかも知れない。

 しかし、最終的に幾多郎は、かかる矛盾は自らのなかで一つの体系をなし得ぬから、これは夢のごときもので、実在とは信ぜぬと大胆に切り落としている。

 素朴に幾多郎の論旨を考えてみると、真の実在は、真の実在と矛盾する意識があって初めて成立するが、矛盾はそれ自体に一つの体系を形作ることがないから、実在とは信ぜられない、・・・・と解釈もできるが、実在とは信ぜられないものを成立根拠として真の実在が成立するというのは論理的に欠陥があるような気がする。

 松篁の場合を考えてみよう。松篁が直接経験に至ったさい、その時点で矛盾は成立要件であったのかと言えば、答えは「ない」のはずだ。

 松篁が直接経験より通常の精神状態に立ち戻ったとき、松篁の意識のなかには直接経験の内容と合致しない意識もあるだろう。この夾雑物には、それ自体に一つの体系がないから「実在とは信ぜぬ」という論理であればそれはそれで理解はできる。しかし、一つの体系がない夾雑物で、純粋経験の内容にそぐわぬものは、夢のごときもので、実在とは信ぜぬ・・・・という論旨は、第一章考究の出立点で述べられた論旨に矛盾する。疑うに疑えないものは意識であったわけで、いまや幾多郎は疑うに疑えない意識を選別し、一つは真に疑えない実在であり、その他は、疑えないがその内容は夢のごときもので実在とは信ぜぬと説く。しかも後者は前者の成立根拠となっている。

 このあたりが、西田哲学のスタート時点で犯した最大の過ちだと思われる。そもそも哲学とは、宇宙のすべてをありのままに包含すべきであると筆者は考えてかかる反論をしているのだが、この考えは間違っているのであろうか。