『善の研究』を解剖する――考究の出立点

 長々と前置きをのべるのはやめにして、『善の研究』(岩波文庫)を読んでみよう。

 読み方として著者の勧めるとおり、第二編「実在」より読むが、この第二編のみで読むことを打ち切りたい。この「実在」編が『善の研究』のコアとなる部分だからである。

 読者のために、西田幾多郎の意図をそこなわないように配慮しつつ、抜書きを造ってみた。非常に読みにくい文章で難解だが、三度ほど読めば理解できるようになるかもしれない。

 西田幾多郎は、上村松篁と同じ神秘体験(神秘体験A)を経験し、これを彼の哲学の基本に据えたのである。

 もともと「言葉でいいあらわしようのない」体験を、体験しない人たちに哲学用語で伝えようとする試みで、表現が難しくなるのは当然なのだが、それにしてもあまりにも難しい、と筆者も思う。にもかかわらず、これがいままでの日本で試みられた(ドイツ哲学風の直線思考の)哲学の典型であるので、我慢して読んでください。

   第一章 考究の出立点

 世界はこのようなもの、人生はこのようなものという哲学的世界観および人生観と、人間はかくせねばならぬ、かかる処に安心せねばならぬという道徳宗教の実践的要求とは密接の関係を持っている。……… 深く考える人、真摯なる人は必ず知識と情意との一致を求むるようになる。我々は何を為すべきか、何処に安心すべきかの問題を論ずる前に、先ず天地人生の真相は如何なる者であるか、真の実在とは如何なる者なるかを明にせねばならぬ。

 ………………

 今もし真の実在を理解し、天地人生の真面目を知ろうと思うたならば、疑いうるだけ疑って、凡ての人工的仮定を去り、疑うにももはや疑いようのない、直接の知識を本として出立せねばならぬ。

 ………………

 さらば疑うにも疑いようのない直接の知識とは何であるか。それはただ我々の直覚的経験の事実即ち意識現象についての知識あるのみである。現前の意識現象とこれを意識するということとは直に同一であって、その間に主観と客観とを分つこともできない。事実と認識の間に一毫の間隙がない。真に疑うに疑いようがないのである。……… 斯の如き直覚的経験が基礎となって、その上に我々の凡ての知識が築き上げられねばならぬ。

 ………………

(『善の研究』(岩波文庫)より抜粋)

写真:
鍍金銅羽人 後漢(紀元25年−220年)

1987年 洛陽東郊の漢墓より出土

『洛陽文物精粋』王綉等編 鄭州 河南美
術出版社 
2001.4

羽人は長い顔と尖った鼻をもち、眉骨が高
く盛り上がっている。大きい耳を立ててお
り、頭の後ろに錐形の髷があり、背に羽と
翼が付いている。方形、円形のソケットを
両手にしながら膝を曲げて蹲っている。前
身に木目細かく羽文、雲気文と巻き草文が
刻まれている。体に金メッキが施され、生
きいきしている。

羽人は、なにやら難しい顔をして後生大事
に箱を抱えている。しゃちこばる必要はさ
らさらないと言っておいたのに。

西田幾多郎は、哲学の出発点として、疑うに疑えない直接の知識を採用すべきであり、その直接の知識とは直覚的経験の事実である、と言い切る。そして直覚的経験の事実がもつ特質を第十章にいたるまで詳説する。

 また、直覚的経験の事実に基づかない所説を「整合性に欠けた」論説だとして、十把一絡げに退ける。

 すなわち、

− ベーコンは経験を以て凡ての知識の本としたが、「経験に因り意識外の事実を直覚しうるという独断を伴っている」から信ずることはできぬ。

− デカルトは「余は考う故に我在り」の命題を本としたが、これは「已に余あり」という推理に立っている故、考究の出発点とは成り得ない。

− 古くはプラトーの、近世に於てはデカート学派の思惟を以てのみ物の真相を知り得るとの考えは、或る約束の下に起る経験的事実を以て他の約束の下に起る経験的事実を推すより起るものだが、各々の条件は触覚を経験的事実とした所に推論同志の食い違いが招来されるのであるから、これも考究の出発点には成り得ない。

と、西洋の哲学者たちを一刀両断に切り捨ててしまう。

ベーコンの学説が内的直感に基づかないから信用できない、として切り捨てるのはまだなんとか理解できるような気もするが、西田の「純粋経験」とまったく同質であるプラトンやデカルトまでも切り捨てるのであるから、何をか言わんやで、これでは現在の日本の大学では、修士号どころか、学士号も取得できまい。

 このような西洋思想未消化のままの西田論説が、京都大学における哲学攘夷論を形成したことは、識者がよく記憶されているところである。第二次世界大戦のときの日の丸特攻隊の精神構造がこのとき策定された、と私は考えている。

 筆者の感想はさておいて、では西田の主張する「直覚的経験の特質」とはなにか、これから逐条的に観察することとしよう。