たしかに岩崎長思氏が述べるように、盛時の
勢いに比べて落
した現状を見つめるとき、或
る種の感慨が生じるものだろうが、しかし、回
顧と慙愧の心象から妖怪が生まれ出ることはあ
りえない。

 実態は次のようなプロセスで生じた心理現象
であると考えなければならない。


1) 慶応2年、西暦1866

 鴻山は、幕府にたいして莫大な献金を、それ
も見返り条件なしの、つまり純粋な献金として、
自家の田畑を抵当にいれてコミットした。これ
は常識外れである。これが普通の、生き馬の目
を抜く商人であるならば、緊急に資金を必要と
する幕府の足元を読みとり、献金額に倍する見
返り条件を幕府に要求して当たり前である。た
とえば、


1. 米国との独占交易権取得条件だとか、

2.当時の天領(幕府の直轄領)であった小布施
の町組、林組からの御用米、それで
も足りぬか
ら、同じ天領であった甲府からの御用米をも併
せ、見返り取得条件だ
とか、

3.信州全体における塩の専売権だとか。

 はたしてこれらの条件が現実的であるかどう
かはともかく、それらが現実的であろうとなか
ろうと、商人というものは、たとえ「だめもと」
であっても、出金に際しては過大な見返り条件
を持ち出すものなのだ。世間的に妥当な結論に
辿り着くための時間稼ぎの意味合いもあるのだ
が、実は、まかり間違って過大な要求を受けて
くる借り手もいるからなのだ。

 このような商人として欠かすことのできない
常識、山吹色の有効利用活用策、が鴻山には欠
けている。「越後屋、お前も悪よのう!」と藩
主あるいは幕府に言わせしめる迫力が欠けてい
る。

 そのような商人センス(商人根性)がきらり
と光る取引を申し出ることがない場合、私たち
はこのようなひとを商人とは言わず、「欠格商
人」という名前で呼ぶのである。

 また、自分が欠格商人であることを、鴻山が
自覚していないことにも注目しておこう。いわ
ゆる「裸の王様」なのである。

2) 明治8年、西暦1875

 商人が常識外れを行えば、事業家はただちに破産に追い
込まれる。

 こういう事情は現在でも同じである。

 残念ながら、鴻山は商人としての常識を欠いていた。ま
た、軌道を修正すべき番頭はすでに家から追い出されてい
た。高井家には、商いに通暁していた人間はひとりもいな
かったのだ。

 しかし、本人が常識はずれであろうとなかろうと、破産
は破産であり、すべての財産は剥ぎ取られ、当事者は路傍
に捨てられる。

 このとき、いかに頭のない当事者といえども、「なんと
かして、挽回するぞ」と力むものである。

 結果は、まったく空しい。債権者は容赦なく攻め立て、
支払うに支払えない金額の破産債権をたててゆく。男が男
でなくなるのである。立つ瀬がなくなるのである。しかも
当人には、商才というものが一切欠けている。

 まあ、普通の人間ならば、疲れはてて、死を望むことだ
ろう。

 「疲れ果てる」こと、「失敗の意識」、かつ「死を望む」
こと。この三条件がそろえば、
Bが出現することを我々は
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」その他のケースで調査
してきた。

 だから、この本の読者ならば、そのとき何がおきるか、
すでにご存じだろう。


3) 明治8年、西暦1875年あるいはその直後。

 わたしたちはこれから、そのときなにが起きたかを、高
井鴻山自身が記した漢詩から読み取ることとしよう。

鶴屋南北の「四谷怪談」は1825年、江戸中村座で初演さ
れたのであるから、文化三年
(1806)に生まれ、文政十年
(1827)東京に出た鴻山は、鶴屋南北の「四谷怪談」を熟知
していたはずである。いわゆる「うらめしや」の世界であ
る。

しかし、考えていただきたい。鴻山はまだ死んではいな
いのだ。

 鴻山の妖怪は、「うらめしやの幽霊」とは異なり、「生
きることへの執着と未練」がない。もっと哲学的である。
人間の本性を「これだ」として断定している雰囲気がある。
 

その事実を下図のなかで鴻山自身が述べている。

 『高井鴻山伝』P393から引用しよう。

 晩年の鴻山が、なぜ妖怪画の世界に没
入していったのか。また没入せざるをえ
なかったのか。岩崎長思は『高井鴻山小
傳』につぎのように述べている。


「鴻山思いを過去にめぐらし、高井家の
盛時を追想し、家・国・民人のために致
したる跡を追憶し、而して現時の政情を
具(つぶさ)に視、さらに自己の境遇に
思い及ぶとき、幻影(げんえい)たちま
ち出現し、眠ればたちまち幻夢(げんむ)
を見る。妖怪画の巧を加うるはその風刺
と嘲罵(ちょうば)と鬱憤(うっぷん)
との噴出ますます盛んなるを示すととも
に、その裏面には深き感慨の潜在するも
のあるを見逃すべからず」と。

妖  怪  画

画像:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Kuniyoshi_
The_Ghost_in_the_Lantern.jpg

 この見方は、人間を外面から観察し、事態の理由を推察
するときの情緒性の強い決まり文句である。現実が自分の
思いどおりにならなかった鬱憤が妖怪の出現という結果に
通じた、という考え方である。

 しかし、良く考えれば、この見方はおかしい。

 この見方を事実とすると、事業に失敗し没落した人には
かならず、妖怪現象が発生しなければならぬ。しかし、そ
のような事実は日本の歴史には存在しなかった。鴻山以前
の歴史上には現れていない。

 また、鴻山以前の妖怪は、死んでから化けて出る「うら
めしや」の幽霊、世の中に未練を残す足のない幽霊であっ
て、たとえば鶴屋南北の「四谷怪談」の幽霊がそれを代表
する。

画像:『高井鴻山妖怪画集』小布施町 1999