AとBとの独立性
画題:
鴨居玲
ミスターXの来た日 1982.2.17
The day Mr. X came(7th February 1982)
1982年
油彩・カンヴァス
53.0 x 45.5cm
『鴨居玲展−私の話を聞いてくれ』
石川県美術館ほか、2005
筆者は読者にとって理解がしやすいように、まず純粋経験Aの実際とその内容を記述し、その後Aの領域に該当しない意識を拾い集め、純粋経験Bに到達した人間の経験を記述してきた。まるでAの認識がBの認識への前提条件となるかのように書いてきたのだが、実はAの認識とBの認識はおたがいに独立的なのである。
世の中にはAの認識だけで終わる人もいる。松篁がその典型的人物で、このままハッピーエンドに至ることは確実だし、それはそれでなかなかに良いものなのだ。幾多郎もAだけでは矛盾があることを知りつつも、Aに固執した。これも悪くはない。人間の世の中が、Aだけで構成しうるという認識が間違いなのだが、これで世の中を押し通すことができればそれに越したことはない。
かといえば、AのあとにBの認識に到達する人もいる。ゲーテにしても、らいてうにしても、龍之介にしても、A認識とB認識との折り合いをつけることが出来ず、苦しみ抜く。しかし、苦しみ抜いてなにかを捨てることにより、A認識の世界に逆戻りできることがあり、そうなればこれまたハッピーエンドを迎えられる。
もっとも苦しいのは、Aの認識なしに突如としてB認識に到達してしまうケースだ。このケースを「AなしのB」と呼ぶこととしよう。B認識はA認識を必ずしも前提条件としないのだ。
「AなしのB」は主として虚弱体質の人を直撃する。直撃された人はあまりの怖さに震え上がる。
「AなしのB」であることを自ら認めているウィリアム・ジェームズが、自らの体験を記述したとされる文章を引用してみよう。これは彼が27歳のときの経験であった。
「こうして、哲学的な厭世主義の状態におちいり、将来の見通しにつ
いてすっかり気持ちが陰鬱になっていた頃のある夕方のこと、私はあ
る品物を取るために、薄暗がりの衣裳部屋へはいっていった。そのと
き突然、なんの予告もなしに、まるでその暗闇から現われたかのよう
に、私自身の存在に対する身の毛もよだつような恐怖心が私を襲った。
それと同時に、かつて保養所で見たことのある癲癇病患者の姿が、私
の心に浮かんできた。それは、緑がかった皮膚の色をした、髪の黒い
青年で、かったくの白痴だった。彼はよく、膝を立てて顎をのせ、彼
の一枚きりの着物である粗末な灰色のシャツを全身をくるむようにし
て膝の上にかぶせて、一日中、ベンチか、あるいはむしろ、壁にもた
せかけた棚板かの一つに坐っていたものだった。彼は、彫刻のエジプ
ト猫か、ペルー人のミイラのようにそこに坐っていて、黒い眼だけし
か動かさず、まったく人間とは見えなかった。その姿(イメージ)と私
の恐怖とが、一種独特なふうにお互いに結びついた。もしかすると、
あの姿が私なのだ、と私は感じた。あの青年と同じように、私にもああ
いう姿になり果てる時がきたら、私のもっているどんな物も、その運
命から私を守ることはできないのだ。まるでそれまで私の胸のなかで
がっしり基礎を固めていたものがまったく崩れてしまって、私自身が
恐怖におののく塊になったように思われたほど、私は彼を恐れ、また
彼と私との相違はほんのつかの間のことでしかないことを感じた。そ
れ以来、宇宙は私にはまったく一変してしまった。毎朝毎朝、わたし
は、みぞおちにぞっとするような恐ろしさを感じながら、そして、私
がその前にも知らなかったしその後でも感じたことがなかったような 、
人生についての不安感を覚えながら、目をさました。それは啓示のよ
うであった。そして、そういうじかの感情は消え去ったけれども、そ
の経験によって、それ以来、私は他人の病的な感情に共感できるよう
になった。その経験は次第に色あせていったが、数ヶ月というもの、
私は一人で暗闇のなかへ出かけることができなかった。」
(『宗教的経験の諸相』桝田啓三郎訳、岩波文庫)