結 語

  - 雪 山 童 子 の 偈 -

写真:
玉虫厨子須弥座側面に描かれた
施身飼虎図(右)と
捨身問偈図(左)

国宝 
7
世紀
板絵彩色
65cm 横35.7cm 
奈良県 法隆寺蔵
人間の美術3『仏教の幻惑』
上原和()学習研究社
2003


 純粋経験A、ならびに純粋経験Bを、それらがいずれも実在し、それらが虚妄で
はなくて、人間の真実そのものであると考えられるときに、松篁の引用した捨身
問偈は次のように解釈されるのではなかろうか。



              諸行無常              人間にとって、すべては流れ動くものである。そこ
                          にはこれと
いって頼れるものはなにもない。そもそ
                          も人間にとって絶対的
な価値など存在しないのだ。


              是生滅法              この価値の流動性こそ、生まれて滅びるもの、すな
                          わち普遍的
に生物と称される存在に共通する法則な
                          のである。



              生滅滅已              なんとなれば、生まれること、生きることの本質と、
                          滅びるこ
と、死ぬることの本質を、徹底的に自ら検
                          証してみると、



              寂滅為楽              寂しく滅びること、死ぬことに対して、生まれるこ
                          と、生きる
ことと全く同質で同位の評価を与え、そ
                          こに逆転する価値を認
めねばならぬからだ。

 中村元、松篁等の解釈とはかけはなれてはいるが、上のように読み下すと、はじ
めて法隆寺の玉虫の厨子に描かれている「身投げ」の意味が判然としてくる。聖徳
太子の時代に人間性の概念は、完全無比な透明性を備えていた。すべての概念を言
葉で論理的に表現せねばならない、と思い込んでいる現代人とは異なり、聖徳太子
は概念を表すために、一枚の絵を描くように指示されたに違いない。人生の謎は、
聖徳太子の時代にすでにして解明されていたのだと想像したい。



 さあ、われわれはこれから法隆寺に参拝して、玉虫の厨子に描かれている「捨身
問偈」図を拝観することとしよう。


 これからは役者交代で、吉川弘文館より『玉虫厨子』を出版された上原和氏の解
説を拝聴することとしたい。われわれはすべてのことにつき常に専門家ではありえ
ないのである。かかる状況では、専門家のご意見を拝聴するほうが、はるかに手っ
取り早く、要領よく、しかも正確に、描かれている内容を細かく見聞することがで
きる。


 上原和は、飢えた虎の親子にわが身を食わせる図を「捨身問偈」とされ、波羅門
が投身自殺する図を「施身問偈」と
categorizeされている。

quote

 玉虫厨子の「施身問偈」図では、須弥座の
縦長い画面に、下から上へ右まわり
に円環的
に、次の三場面が異時同画的に展開している。


@ <羅刹から半偈を聞く波羅門> 

 画面の最下段に、波羅門と羅刹が向き合っ
て立っている。篠竹状の三本の竹を竹林に見
立てて、その前に忿怒の相をした容貌魁偉な
る、全身斑毛に覆われた羅刹が褌を締めた姿
で立っている。それとは対照的に、目鼻立ち
の整った柔和な面立ちの若い波羅門が、
C
形を重ねた岩盤状の崖を背景に、苦行の日々
を偲ばせる蓬髪弊衣の姿で、語りかけるよう
に片手を前に差し出している。この両者の対
照、しかも阿吽の呼吸に有りようがすこぶる
絶妙なのである。



A <崖面に羅刹から聞いた句偈を書きとめ
る波羅門
>

 画面の左寄りに構築され
C字形岩盤状の
崖の中段に、真横に向いた波羅門が崖面に相
対して筆をとっている。その腰のあたりの岩
盤の上に円形の硯が見られる。波羅門の横顔
がきびしい。



B <虚空に翻る波羅門を、羅刹から姿を復し
た帝釈天が受けとめる
> 

 
画面の最上段には、土坡状の崖上に二本の
灌木が描かれているのみで、人の姿はない。
崖上
の土坡の先端が虚空に突き出ており、そ
のすぐ先に虚空に身を翻して墜ちていく
波羅
門の髪を振り乱したすさまじい投身の姿があ
り、その下にやはり虚空に姿を
変幻させた帝
釈天の両手を差し出した斜め前向きの姿が見
られる。虚空には、投
身の波羅門のぐるりに
散華が天降っている。




 波羅門は樹上から身を虚空に放つのである
が、まだ地上に達しないうちに、た
ちまち羅
刹はもとの帝釈天に姿を復して、空中で波羅
門の身体をうけとめて無事
平地に立たしめる。
かくして、帝釈天はじめ諸天および大梵天王
は、この波羅門
の足下に稽首頂礼して、真に
是れ菩薩なり
、と讃えるのである。

    (上原和
        『玉虫厨子』− 飛鳥・白鳳美術様式史論
                            吉川弘文館 1991)
unquote

写真:
「施身聞偈図」(玉虫厨子)
7世紀 
法隆寺大宝蔵殿
『名宝日本の美術 第二巻 法隆寺』
小学館 昭和57