認 識 作 業

画題:
Unknown Bernese master
"All Souls Altar (2 wings)" 1505
Hans Christoph von Tavel
"Museum of Fine Arts, Berne"
Swiss Museums 1994

 純粋経験Bの認識作業は、純粋経験Aのあとのほうが簡単だ。純粋経験A
範疇にはいらない意識を拾い集め、整理し、分析すればよいからだ。・・・
・と言葉で言うのは簡単だが、実行は困難を極める。拾い集める対象の意識
は、自分の行為や行動に出てくる悪い面ばかりで、初めはいったいこういう罪
悪や死の観念が自分の心のどこから出てくるかわからず、おろおろする。ゲ
ーテも述べているように、純粋経験
Aが絶対価値となって分析作業の前に立
ちはだかり、我々の認識作業をブロックする。自己が二つに分裂し、らいて
うが申し述べるとおり、ダブルキャラクターに悩まされる。

 苦痛をこらえて辛抱する。純粋経験Aに到達したときの精神の集中度をは
るかに超える集中力で心に湧いてくる(
A領域以外の)意識を調べ上げるの
である。

 そして純粋経験Bは現出する。

 ダブルキャラクターの苦痛、それに純粋経験Bそのものも苦痛であり、そ
のうえ
ABが内的擾乱を開始する。苦しい苦しいと助けを求めることになる。
が、理解してくれる人は皆無である。神に加護を求めるがむなしい結果に終
わる。近づく先は狂気か死かという限界に来る。その頃には読者諸君、君の
身体に死が足音を立てて近づいてくるのを感ずることだろう。

 このときに決してあきらめてはいけない。理性を働かし続け、合理的な理
解を求め続ける。この探求心を維持しつつ、自分の心が死を求め、身体がそ
れを欲している段階にあるのだから、
Aを一旦放棄するのである。思いきる
のである。自分の立っていた土台を一旦捨てるのである。

            百尺竿頭に一歩を進めるのである。

            身を投げるのである。

            自殺するのである。

 その刹那、・・・・というより一呼吸をおいて、価値の逆転を自分のもの
として悟ることとなる。

 日本の地方のいろいろの場所で、うだるように暑い夏の期間、奇妙な風習のあるのを観察することができる。渓谷に架かる高い橋の上から死の恐怖におびえるいたいけない子供たちが、それが風習であるからと強制されて、目をつむって眼下の川の淵に飛び込む。それは異次元の感覚の体験である。重力のない世界の体験であり、死の世界への跳躍である。これに似た思い切りである。