小説『煤煙』

  
平塚らいてうと森田草平

画像:

Nenehttp://www.clevelandart.org/exhibcef/
visions/html/7428792.html

Nene, 2002
Daniel Kelly
(American, born 1947)
Woodcut hand-colored with white paint
Gift of Glorian and Leon Plevin in memory of Fred Schmidt, 2002.107

森田草平は、

明治14年、西暦1881年、岐阜県の稲葉郡に生れた。
明治39年、25歳で東京帝大英文科を卒業した。
明治40年、天台宗大学の英語教師となり、6月に生田長江の肝いりで生
     れた閨秀文学会で
平塚明と知り合うことになる。

平塚らいてうは、

明治19年、210日麹町三番町で、父定二郎、母光沢(つや)の三女
     として生れた。本
名は明(はる)。
明治36年、17歳で日本女子大家政科に入学。
明治39年、女子大の寮友木村政子の紹介で、日暮里「両忘庵」で禅の
     修業に励む。

              3月、日本女子大卒業。
              7月、見性し、慧薫(えくん)の安名をうける。
              浅草の海禅寺の中原秀嶽を知る。
明治40年、5月閨秀文学会に参加。
明治41年、1月草平との交際急速に深まり、321日家出し、草平と塩
     原温泉奥の尾頭峠
に向う。いわゆる「塩原事件」である。

 平塚らいてうは、塩原事件については自分で書くことはしなかった
が、たまたま自殺行の連れ合いに選んだ相手が森田草平だったため、
彼が、事件のあとで漱石の指導の下に綿密な報告書をまとめ、朝日新
聞に発表した。これが小説『煤煙』である。

 すでに読者は『若きウェルテルの悩み』で反抗的哲学者の心理構造
を勉強して、トレーニングを済ませたから、平塚明(はる)の考え方
の筋道をくどく解説する必要はないと思う。

 例によって、抜書きと手短な解説をつけてみた。テキストは筑摩書
房「現代日本文学大系
29」に拠る。

 人生観が定まらず、厭世観に取り憑かれていた草平であった。

 のちに彼が「朝日新聞」に連載した『煤煙』を塩原事件に至るまでの
自叙伝と考えるならば、彼の厭世観の基礎は次のようなものである。



               昨宵(ゆうべ)の光景(ありさま)がまざまざと眼に(うか)
         んだ。何う思っ
たとて、自分は父の子ではないかも知れぬ。自
         分の存在には始めから汚点が打た
れたのだ。その汚点は肉体の
         中に潜むでゐるのだから、自分を滅さない限りは何
うすること
         も出来ない。この手、この指、皆不義の結晶に外ならぬ。いか
         にも獣
的だ。併し人間が生れるなぞと云ふことは、元々余り禽
         獣と選ばない。何れにし
ても五十歩百歩だ。「自然は破倫な
         り。」人間の事は要するにこの一言に尽きるん
だ。かう云ひ放
         つて見ると、何だか世界を真黒に塗つて遣つたやうな気もする。
      
    只それに依つて心は少しも浮立たない。何うすることも出来な
         いからだ。今在る
状態はそれに依つて少しも動かないからだ。
         総ての人類が呪(のろ)はれた所で、
呪ふ者はそれに依つて幸
         福とはならない。

画像:
無款
『地獄図屏風(部分)
江戸時代中期
(18世紀)
紙本著色六曲一双
平山郁夫
『秘蔵見本美術大鑑9 
 ライデン国立民族学博物館』

1993
講談社

 日本での最高学府―東京帝国大学を卒業し、自負にあふれているべ
き草平だったが、現実の草平はまるきり自信がなかった。

 草平は、父の存命中から母が不義密通を行っていたのではないかと
の疑いを捨てきれず、母に対して不信をつのらせ、父の亡きあと、そ
の相手の当人が、実家に入り浸って財産を引き出していく現実を見て、
自らに対する嫌悪感をつのらせる。

 出生のときからの疑問に加え、自らも多数の女性と関係をもち、間
借りの家の女主人との関係も生じたようで、新婚の妻は出産を口実と
して故郷へ帰ったまま戻ってこない。

 女児が誕生したというので故郷へ帰り、父の墓参りに行ったのだが、
妻は押し黙ったまま口をきいてもくれぬ。


               要吉は墓地の外へ出たまゝ茫然(ぼんやり)立ってゐたが、
         何処へも行く処が
ないやうな気が仕出した。人間は何処かへ
         行かなけりやならぬ。けれども父を埋
めた墓場へ来てさへ、
         自分の手を取って呉れる者がないとすれば、他に何処へ行

         処があらう。何処へも行く処がなくて、それでも未だ死ねな
         けりや――急に寒
気がして、ぞつと爪先まで悪寒(さむけ)
         が通った。


 自らが自らの存在意義に疑問を抱き、客観的かつ主観的自我の確立
に乗り出すことが近代の人間であるとすれば、要吉はまさしく近代的
考える葦であるのだが、倚りかかるべき安楽な、しかも自己と矛盾し
ない権威に逢着することがなきまま、要吉は不安のただなかにおり、
こんな世の中なら死んでしまいたい、と思っている。