『若きウェルテルの悩み』−第二部

           転地して新世界を求めるも

 自己と世界と宇宙についての議論と論理は第一部で出尽くしてしまった。

 自己のなかに神があり、その神が自然界をあまねく領有しているという汎
神論的世界観は、そこにいったん死の概念が導入されると、ぼろぼろに蚕食
され、自然も太陽もその輝きを失ってしまう。いま置かれている世界は不安
と恐怖と暴力と悪行に満ちた世界であり、拠って立つ価値観の土台が見えな
い。

 しかも、わが身は閉鎖された空間で死を願う。

 自殺の社会倫理上のjustificationはまがりなりにもできあがった。だから死
ねばよさそうなものだが、死の先にはなにがあるかわからず、不安であり、
恐怖心がまだ残っている。

 死ぬということの意味合いがわからない。だから生きることの意味もわか
らない。

 すなわち、自己というものの完全な、透明な理解が得られない。

 解決できない状態で。その解決を求めぬまま。一歩先へ行動をおこすこと
は、賢明なことであろうか? 考え続けることは体力を非常に消耗するもの
で、みるみる体力が衰えていくうち、考察をやめて自殺を計る人もあり、ま
だ頑張って考え続ける人もいる。

 ウェルテルはひとまず考察を中断して転地し、心機一転、新天地を求める

こととして、第二部が始まる。

画像:
   Odilon Redon (1840-1916)
     “Sphinx Aile Accoude a un Rocher”
   (
岩に寄るスフィンクス:堕天使
   
1892-95
     Musee du Petit Palais, Paris

     栄光と頌め歌との 
   御身に捧げられてあれ 
   サタンよ

  かって御身の君臨した
  「天」の重みにあろうとも

    敗れた御身が黙々と夢想する
  「地獄」の底にあろうとも!

 (ボードレール『サタンへの連祷』)
     サタン=堕天使
  『現代世界美術全集10 ルドン/ルソー』
   集英社 1971

1771.10.20.

               昨日、当地に着いた。公使は微恙(びよう)のため・・・・


 第一部720日付に記されているウィルヘルムの推薦案に従ったのだが、
・・・・

 ウィルヘルムの勧告は「忍耐しろ」という内容のもので、ウェルテルは一
応この勧告に全面的に従った。


               もしわれわれが微力ながらも、まだ労役にくるしみながらも、た
         だひたむきの
働きをつづけてゆけば、われらはおのずと知ることが
         できる。このはかどらぬ船
    足すら、帆をあげ橈をあやつる他人
         よりも遠くを行くことを。さらに、かくて他
人と歩度を合せひいて
         は一歩先んずるとき、そこにまことの自己感情が生れるこ
とを。


 転地すると同時に、苦しみは忍耐でのりきる決意をしたウェルテルであっ
たが、彼の希み通りにはなかなかいかない。

1771.11.26.

 転地して一ヶ月以上たったが、仕事はあるし、沢山の人々と出会う機会も
あり、気はまぎれる。
C・・伯爵は博大な頭脳の持ち主で、視野も広く、友情
や愛情への感受性があり、たちまちにしてお互いに理解しあえる人であるこ
とが判明し、喜ぶ。

1771.12.24.

 さらに一ヶ月たった。自分の仕えている公使は官僚主義の阿呆だと思い、
尊敬する
C・・伯爵が、公使の漫々的と石橋主義には不満だと打ち明けてから
は、意見が固定する。
C・・伯爵がいう。


               「こういう人は自分にも他人にも事をむつかしくするのです。し
         かし・・・・ 
これも我慢しなくてはなりますまい。山を越さなく
         てはならない旅人のようなも
のです。もちろん山がなければ道はず
         っと楽だし、近くもなる。けれども、現に
山があるのだから、どう
         も越さないわけにはゆかない」


 ウェルテルがC・・伯爵を尊敬していることを知った公使とウェルテルのあ
いだでいさかいが生ずる。ウェルテルは現在の立場が、「いまつながれてい
る奴隷船の上で、このさきなお十年くらいは苦役」と認識し、これなら「馬
鈴薯を植えたり、馬にのって町へ穀物を売りに行く」ものの方がましだと考
えはじめる。

 町には位階欲にまみれた連中が地位のための競争にうき身をやつす。「そ
のあさましい欲念は一糸をまとわぬ丸裸だ。」

 散歩の途中で出会ったフォン・B嬢だけが格別で、愛らしく、人間味を失っ
ていない。ただ、この
B嬢のおばさんにあたる人は轗軻(かんか)不遇なの
に気位だけが高い阿呆だ。

1772.1.8


               なんたる連中だ! 全身全霊ただ儀礼にのみ汲々として、あけて
         もくれても食
卓で一つでも上席にわりこむことばかり念じている!


 周囲の階級争いを軽蔑する。