永遠に口をひらいた墓の奈落

画像:
ヴィクトル・プルーヴェ
秋の光景
1899
油彩 カンヴァス 252 x 163 cm
ナンシー(フランス)、ナンシー派美術館

ガレとも親しかったプルーヴェは、ナンシー派を代表する象徴主義系の画家。霧につつまれた晩秋の林のなかに迷い込んだような女性たちは、黄葉を楽しむというより自然のなかの神秘、未知なるものに惹かれ、あるいはおののくかのようである。(N.S.)

『アール・ヌーヴォーとアール・デコ』甦る黄金時代
千足伸行監修
小学館 2001

1771.8.18(続き)


               しかるに友よ、いま、私はただあのころの追憶をなつか
         しむばかりである。あ
のいいがたい情感をよびかえしてふ
         たたびそれを口にするだに、はや魂は昂(た
か)まるが、
         しかしその後には、身をめぐる自然の畏怖(いふ)すべき
         実相をい
やましに感ぜずにはいられない。

               さながら、わが魂の前に帳(とばり)が引き上げられた
         かのようだ。無限の生
命の舞台と思われたものは、私の目
         の前で、永遠に口をひらいた墓の奈落と変じ
てしまった。
         およそ何人(なんびと)が何事について「それは存在する」
         と確言
することができようぞ?


 あの歓喜の実在感覚を想い返せば心高鳴りはするが、現実に直面し
ている自然の実相は暗く冷たい心の墓場だ。この場所では存在するも
のがなにもないようにみえておぞましい。


               すべてのものは過ぎ去ってゆくではないか? 万有は稲
         妻のごとくにはやく推
移してゆくではないか? 存在がそ
         の全き力を保ちつくすことも稀に、ああ、流
転の奔流の中
         に入れられ、沈められ、ついには岩にあたって砕かれてし
         まうでは
ないか? 君と君の愛する者を啖(くら)いつく
         さぬ刹那は一瞬もなく、君が破
壊者にあらず、たらずして
         すむ次官は一刻もない。心なき散歩のあゆみ
に、われらは
         数千の可憐な虫の命をうばう。ひとたび踏めば蟻の営々た
         る建物は
蹂躙され、小さき世界は無慙(むざん)な墓場と
         化する。まことに! わが心を
撼(ゆす)るのは、かの村
         落を洗い去る洪水、また都市を呑噬(どんぜい)する
地震、
         これらの稀にのみ世におこる大災厄ではない。自然の一切
         の中にかくれひ
そむ、蚕食(さんしょく)の力、これが私
         の心を礎から掘り崩す。いまだかつて
自然は、自己と隣人
         とを破壊せぬものを創造したことはなかった。これを思っ
         て、
私は不安におびえよろめく。天と地と、その織りなす
         力は、われをめぐってある! 
しかもそこに、わが眼に映
         ずるのは、ただ永遠に啖いつくし永遠に反芻する、怪
物に
         すぎない。


 「今」が無限の価値を持っていたはずだったが、その価値も消え失
せて、足を踏ん張る浅瀬もない。濁流に押し流されるばかり。人生の
枠組みも消え去った。価値基準のない世界は人を消耗させ人を殺す。
自らも歩けば蟻の巣を破壊する破壊者だと自分を責める。

 自然はその中にじわじわと万物を破壊する力を持っていると感ずる。
いずれ破壊されるのは自分であると考えると恐怖にとりつかれる。

 はきりしていることは天も地もわが身に内在するということだが、
わが身に内在するそのものは、いまやあの輝かしき生命の証ではなく、
人を食らう・内面を破壊する怪物にみえる。

 『若きウェルテルの悩み』第一部に展開される思考と論理はここま
でで終了している。

 このあとは、正体のわからぬ怪物に取り付かれたウェルテルの身体
的特徴−憔悴の仕方、感情や動作の心理学的、医学的観察といままで
見てきた論理の繰り返し、ならびに死を前にした感傷の言葉が連綿と
続く。

1771.8.21.


               抑えられた胸からは涙のながれがほとばしりいで、慰ま
         んすべをもしらず、暗
き未来にむかって泣く。


 なぜかかる絶望的状況へ追い込まれたのか自分でも理由がわからぬ
が、あまりの我の憐れさに泣き出す。

1771.8.22.


               私の活動力は調子がくるって、落ち着かない懶惰(らん
         だ)となってしまった。
私はぼんやりとしてもいられない
         が、といって何をすることもできない。表象す
る力もなく
         なった。自然にも無感覚となった。本は見るだけで嘔吐を
         催す。自分
に自分が欠けてしまうと、一切のものが欠けて
         しまう。


 怠惰、無気力、無感覚、嘔吐が症状として観察される。

1771.8.28.

 今度は感傷の言葉。


               人生の花は幻にすぎない。ただ一つの痕跡をも残すこと
         なく、どれほど多くの
花がうつろいすぎることだろう! 
         実を結ぶ花のなんとすくないことだろう! 
しかも、この
         実のうちで熟(う)れるものはどれほどあることだろう!
        とはい
え、熟れた実のいくつかはある。それだのに――お
         お、友よ!――それを顧みも
せず、蔑(な)めし、味わわ
         ぬままに腐らせてしまうことが、よもあっていいも
のだろ
         うか!

1771.8.30.


               二時間三時間のほどをあのひとのそばに坐って、あの姿、
         あのふるまい、あの
言葉のきよいひびきに心奪われている
         と、やがて五官ははりつめ、眼の前も暗く、
耳は聾(し)
         いたがようだ。この咽(のど)をとらえる扼殺者(やくさ
         つしゃ)
の手があるかとばかり、心臓は激しく鼓動して昏
         (くら)んだ五官を解き放とう
とするが、かえっていよい
         よその惑乱をます。――ウィルヘルム、しばしば私は
もは
         や自分がこの世にあるのか否(いな)かが分らなくなって
         しまう。



 ロッテへのかなわぬ想いも残る。