ギボンは述べる。


 さすがにキリスト教神学者の中でも特に明敏の聞こえ高かった大アタナシウスは、きわめて率直な告白を述べている。すなわち、「言(ロゴス)」なるこの観念の神性という問題は、いかに悟性の限りをつくして考えても、その努力はすべて空しい徒労としてはねかえるだけであり、考えれば考えるほどわからなくなるし、また書けば書くほどその思惟はいよいよ曰く言い難しになるだけだった、と。事実われらとしてもこの問題、究めれば究めるほど、至るところでその対象の巨大さと、他方人間悟性の限界との間に厳存する無限大ともいうべき距離を痛感し、また認めざるをえないんだ。われら人間の経験的知見からするあらゆる知覚とあまりにも強く密着した理念、たとえば時間、空間、そして物といった理念を、ただ抽象化するだけならば、あるいはそれもできるかもしれぬ。だが、ひとたび無限の実体、霊的生成といったごとき問題を考えるとか、あるいはまた負の概念から正の帰結を導き出すということになると、たちまちわれらは暗黒と困惑、そしてまた不可避の矛盾に陥ってしまうのである。しかもすべてそうした困難は、問題の本質自体から生じる困難であるだけに、哲学および神学問題の立論者たちにとっては、一様に超え難い重荷となってのしかかるわけ。       (同上、第21)



 このような哲学上の難問をかかえながらも、教会が成立し、教会の権威を確立する必要が生じ、一方では教会の組織を(分裂させないで)一本化する必要もでてきた。これは、一本化された教義を確立する必要があることを意味する。ギボンの言葉を、中野好夫訳第
21章のなかから、つなぎあわせ短縮すると、次のようになる。


 「プラトン派学徒は」、「師の思想を尊敬するとはいっても、あくまでそれは傑れた理性に対し献げる自由な自発的敬意ということだったが、これに反してキリスト教徒たちは、戒律厳しい多数者の集団をつくるばかりか、彼らの法規や教界役員たちのもつ律法的管理権は、信徒たちの心までを厳しく支配した。勝手気儘な心の働きは、信条と、そして告解ということにより漸次制限が加えられるし、個人的判断の自由は教区会議(シノドウス)の公的見解に服せざるをえなくなった」。そして「霊的叛逆者の狂熱あるいは頑強さ」に「野心ないしは欲心という隠れた」動機も加わって、「形而上学的論議が実は政治的抗争の名分口実にすらなった」。

 313年にコンスタンティヌス一世による「信仰寛容令が出てキリスト教界の平和と安逸とがもどると、ふたたび三位一体論争が、古来プラトン哲学の本拠だった学都、富裕な商都、また熱閙をきわめたアレクサンドリア市からはじまることになった」。

「年齢、性、あるいはまた職業からしてもとうてい判断力など期待できぬ、また抽象的思惟にはおよそ不慣れな大衆までが、神性の性格構造などといった問題に思いを潜め出した。テルトゥリアヌスの豪語をかりれば、もっとも賢明なギリシャ人賢者たちをさえ困惑させた諸難問に対し、キリスト教徒ならば一介の職人でも、いとも簡単に答えができたはずだというのだ。問題自体がはるかに人間知性を超えるものだけに、最高知性と最低知性との格差といっても、ほとんどそれは極微に近いだろうし、むしろその頑迷さ、独断的過信性の程度こそが、愚かさを測定する尺度であるかもしれぬ」。

三 位 一 体 論 の 成 立 過 程

 こうした論争の長く続いた時代を経て、325年のニカエア会議、さらに最後に残った異端アリウス派との流血事件を引き起こしつつ、結局381年のコンスタンティノポリス宗教会議で、聖霊の同位神格が認められて、三位一体が最終的に成立した。


 アリウス諸派は、中野好夫の注釈によれば、

 「世界の審判者」たるべき神の子キリストといえども、それは神によって創られたもの、換言すればロゴスの受肉によって人間の形をとって降臨した、いわば二次的なる旨を強調した。        (同上、第27章)


 これではキリストの生まれてきた存在理由がなくなるし、キリスト生誕前のメンタリティーへの逆行を意味するから、アリウス派の見解は正統派(三位一体派)には受け入れることができなかったにちがいない。

 さて、1.2.3.を論理的に説明しようとすると、主として3.の内的経験(光でもあり、神でもあり、実在でもあり、根源でもあり、生命でもある)を正確に説明し、それを基準として理論の構築を行う必要があるが、丘浅次郎が看破したように、それは不可能であり、無理に実行を試みると懐手式推理法に堕してしまう。

画題:Giovanni Battista Tiepolo,
      "Pope Clemens Worshipping The Trinity"
      c 1739
      Erich Steingraber
      "The Alte Pinakothek Munich"
      Philip Wilson Publishers Ltd.
      1985


        このようにして成立した三位一体論が
    暗黒の中世時代を形成した。
        この絵は宗教戦争後に
        ケルンの選挙候Clemens Augustの寄進で、
    Nymphenburg Casle内の教会に描かれた。