これらを総合すると、個人による表現能力の差、表現方法の巧拙はあるものの、
     

という5段階に分けられる一定のパターンを認めることはできないだろうか。

人 間 の 心 の 波 動 現 象

 また、この量子力学理論を人間の精神にあてはめることにより、アヴィラのテレサの主張する「恍惚」状態は、「一致の念祷」よりもエネルギー準位の一段高い第二次励起状態に相当するだろう、と推理することもできる。

 このように神秘体験Aは、ミクロの世界の原子内部の電子の挙動ときわめてよく似ていて、量子力学理論を使うことによってよりよく説明され、よりよく理解されるように感じられる。

 つまり、ジェームズが『心理学』のなかで述べた「意識の流れ」が、この時点でいったん中断されることは、この模型を使えばたやすく理解できるし、ジェームズが『宗教的経験の諸相』で述べた「健全な心」の超常性は、人間精神の励起状態と解釈したほうが、理解が容易になるのである。

 また、人間のこころに現われるこの現象を量子力学の理論とつきあわせ、人間のこころには波動性があるにちがいないと推論することもできる。つまり、量子力学者が極微の原子の挙動を調べ上げて、電子の波動性を立証したように、人間のこころもその極限状況を調べ上げて、そのときに生じる現象を観察し、なんらかの心的構造仮説をつくりあげることもできよう。だが、人間の場合は、この神秘体験Aのみに立脚して波動理論をつくりあげても、あまり意味がないように見える。

 人間の心は量子力学よりももっと複雑にできていて、神秘体験Aのみで心のすべてを測ることができないからだ。神秘体験Aは、人間の心の「ものさし」としてはうまく働いてくれない。筆者は前著『純粋経験B』で、その一例として若き日のゲーテを取り上げ、『若きウェルテルの悩み』を題材としてその分析に努めた。

 神秘体験Aは、人間の心の「ものさし」として働くどころか、逆に本人の悩みを拡大し、なおいっそうの混迷に導くことがしばしばある。

画題:Harpist,
        Cycladic (Aegean islands).
       Vmillennium BC.
        Howard Hibbard
        "The Metropolitan Museum of Art"
        Harrison House, New York

       人間は波動を作り上げて楽しむ。
       これは構造がもたらす本能なのか?

 このような現象は、われわれ人間に内観としてあらわれる現象であるが、経験者の数が限られていること、また体験したとしても、それを言葉に表わす人の数が限られているため、西洋ではこの現象を表現する人、この現象を主張する人のことを「神秘主義者」と称し、この現象を主張することを「神秘主義」と称するようである。日本では、特に禅宗で「見性」と称することもある。

 彼らが一般人の経験することのできない体験を主張することから、彼らは、一般人の感覚からすると「変わり者」なのかもしれない。が、実際には、人間の歴史はこの体験の記録でいっぱいに埋めつくされている。

 にもかかわらず、聖アンセルムスが体験者だ、エックハルトが体験者だ、ヤーコブ・ベーメが体験者だ、と指折り数えて主義の正当性を述べたてることにはあまり意味がないように思われる。