画像金沢城図

奥村家旧蔵
35.0×41.5(
cm)
金沢市立玉川図書館蔵

新しく復元されたのは、赤矢印が玉泉院公園、青矢印が橋爪門続櫓

土地の面積があちらは44ヘクタールで、こちらは40.2ヘクタールで似ている。あちらの背後が結構な高さの丘になっているのは、こちらもそうで、一時間あまり時間をかけて周囲を歩き回るのにけっこうな運動量が必要となる。この領域内に大層立派な庭園が含まれていることも似ている。約50%が庭園である。あちらの公園は公開されていないがこちらは公開されている。あちらは壮大なサン・ピエトロ寺院があるが、こちらにはない。但し、サン・ピエトロ寺院の(現在の建物)の創建は1626年で、こちらは(1620年の本丸焼失ののち)、1632年に壮大な二の丸御殿が造営されたことも時代的に似ている。二の丸御殿はその後いくども火災に遭い、その都度新築されたが、明治14年兵隊の失火で焼失したのち再建されていない。いずれはこの二の丸御殿が造営されることになるだろう。二の丸御殿が復元されれば、金沢城は日本のヴァチカンと銘打たれることになろう。それほど堂々とした金沢城である。

写真:本丸跡の森。冬だから木の葉がなくて明るいが、春になれば暗くなり、右下に見える池にはアオモリガエルが繁殖する。

 では皆様、ご機嫌よう。

写真:やっと開花した福寿草

 私の好きな場所は金沢城のもっとも高い位置にある本丸跡の森である。私はこの本丸の下、現在の二十一世紀美術館の場所にあった女子師範附属の幼稚園、小学校、中学校に通っていたものだから、学校の帰りにこの鬱蒼とした森のなかで自然観察をするのが通例になっていた。だから、この森にきて鬱蒼とした巨木群のなかに入ると、自然に気が安らぐのである。こういう故郷を持てることはなんという喜びであろうか。

 同じく最近新築された橋爪門続櫓は二の丸御殿の入口にすぎないが、将来二の丸御殿が復元されれば、その偉容はヴァチカンに優るとも劣らないこととなろう。

 金沢城を囲繞する石垣を庭園の構成要素として使用し、意図的に短冊石を嵌め込み、上部から滝を落とすという画期的な構造で、日本では他に類を見ない城壁美術である。このあたりはヴァチカンの美的センスを凌いでいる。

 玉泉院庭園写真の上部中央やや左よりを拡大すると、右の写真となる。

写真;玉泉院庭園

画像ヴァチカン市

 なんといっても金沢市の眼目は金沢城と兼六園であろう。金沢城と兼六園をまとめて比較するとすれば、比較の対象はヴァチカンになろうと思う。

 本日、東京からの新幹線が金沢まで開通した。

 町中がかなり賑やかになっていて、観光客の数も非常に増えている。

 金沢市は戦災に遭わなかったので、古い家並みが残っており、古い店舗を改装して新しい土産物屋がぞくぞく出現している。

 しかし、金沢市は新幹線とは関係ない世界に生きている。古い歴史の上に生きていて、歴史がこの都市を支えている。

金  沢  短  信  (7)

                      2015/03/14

画像:金沢城案内板から金沢城・兼六園の地図

写真:橋爪門続櫓

 つまり時代的にも規模の大きさも、ヴァチカンととてもよく似ている、と言いきれよう。

 美術館はどうだって? 残念なことにヴァチカン美術館に匹敵するものはないが、けっこう立派な石川県立美術館が兼六園に隣接している。

 逆に、あちらになくてこちらにあるのは、九谷焼、漆器、友禅、金箔などの労働集約的工芸品文化であろう。

 また、美術という観点からいえば、金沢城を取り囲む重層構造の石垣群がある。