こういう昔の音感をもっている人間にお勧めする。金沢市立蓄音器博物館に行って、蓄音器デモンストレーションを聴いてごらんなさい。私は八日市屋典之氏の解説つきでVictrola Credenzaという巨大なアメリカ製蓄音器で、クライスラーの「ウイーン奇想曲」を聴いて不覚にも涙をこぼした。ここには音の芸術がある。深い感動を伴う音源がある。それは現実に忠実なデジタル音源ではなく、芸術の域にまでたかめられた人工的な音が芸術を奏でている。譬えていえば、映画「第三の男」で再生されていた深い音源の芸術性に、この蓄音器館で巡り会うことができる。昔は技術者が「心に快く響く音」を芸術的観点から追及していたのだ、と実感させてくれる。

 昔、金沢にも沢山あった音楽喫茶の音である。

 この音があればこそ、コーヒーを飲みたくなる、あの奥行のあるねっとりした「音」が再現されているのだ。

 こんな素敵な音はここしばらく(50年間)聞いたことがない、あのロマンチックな嫋嫋とした感傷的な音が流れ出している。

 E.M.G Expert Senior1935年、英国製)で聴かせてもらった曲目はビング・クロスビーのホワイト・クリスマスだったが、これも望外の喜びだった。

 私は八日市屋さんのガイダンスののち、日本コロンビアが蓄音器館で録音したというCDを一枚購入し、家で聴いたが、蓄音器館で感じた感動は甦らなかった。やはり蓄音器館であの当時の蓄音器を使わなければ、あの深い音を取り出すことはできないのだ、と悟った。

 館長である八日市屋典之さんの説明は次である。

1. 蓄音器の発明は、1877年(明治10年)にエジソンによる錫箔貼付け真鍮円筒を媒体とする蓄音器であって、その特徴は、手巻きのバネを動力としており、円筒表面に巻かれた錫箔にたいして垂直に振動を記憶させるものであった。再生にも電気をつかわず、鉄芯の振動を振動板に伝えて再生音を作っていた。

2. その後、アメリカ人エミール・ベルリナーが1887年に円盤レコードを発明し、これをビクターやコロンビアやグラモフォーンが商業化して78回転のレコード時代になった。これは円盤状のレコードと称する記録媒体を使うもので、海産物のシェラックを圧縮して成形した。これに鉄芯で振動を横方向に記録した。これが母体となり、第二次大戦戦争終結以降までこの方式の78回転レコード時代となった。

3. これらの蓄音器は、手巻きで巻くバネを動力源としてレコードを回転させ、鉄芯が拾ってくる振動を巨大なラッパで共鳴させ大音響で鳴らす音響箱が附属していた。電気は一切使っておらず、共鳴箱だけで驚くほどの大音響でメロディーが奏でられた。

4. 金沢の尾張町で蓄音器店ヤマチクを経営しておられた先代の社長八日市屋浩志氏が、デジタル化の陰で急速にさびれていったレコード文化を保存するために、蓄音器と78回転レコードの収集を開始され、いまやなんと600台以上の蓄音器と3万枚のレコードを所有する(多分日本一の)コレクションを作り上げた。

金  沢  短  信  (6)

                    2015/02/28

写真:Brunswick Valencia Cabinet Phonograph。音響箱の前面の布を取り外すと見える木製薄板のラッパ。

参考画像:黒澤楽器 Kamaka HF-1 #142885

写真:金沢市立蓄音器館。場所は金沢市尾張町。

 散歩の途中で立ち寄った博物館なのだが、たまたま11時の「聞き比べ」時間であったため、二階の展示室で約10台の蓄音器を聞き比べるデモンストレーションに立ち会うことが出来た。

 この蓄音器で再生された音のコレクションを現代のデジタル機器で日本コロンビア社がCD化したものをこの博物館で販売しています。PC附属の貧弱なアンプで再生したら、とんでもない貧弱な音に成り下がりますが、立派な音響装置で再生すればあの深みのある音が聞けるのかも知れません。曲目をご参考までに添付しておきます。

 まあ、騙されたと思って一度聴いてごらんなさい。私たちのもっている音感の世界がかならず甦りますから。もちろん、八日市屋さんによる完璧な補修と管理があってこその話なのでしょうが。

写真:E.M.G Expert Senior

写真:Victrola Credenzaと八日市屋典之さん

 私は37日で満75歳になることとなっている。終戦時は5歳であった。この年代の日本人はベルリナーによるレコード文化のなかで育った。終戦後は急速に真空管を使ったアンプ増幅による大音響の時代へと変化したが、私たちは体制的にビクターやコロンビアにより継承されたベルリナー・レコード文化のなかでそだった、といっていい。金沢でいえば竪町にあったレコード喫茶店などで育った人種だ。その当時の喫茶店はレコードによる深い音源を利用して経営していたのであり、それが私たちの音感を育てた。時代はその後急速に電気信号によるデジタル化の方向に進み、振動数2万ヘルツなどという過剰な性能で技術が競われる時代となり、現在の音楽貧困時代へと続いているが、私たちの昔の音感が消え去ったわけではない。

金沢蓄音器館

 今日は驚愕のあまり長広舌をふるってしまいました。

 では、皆様ご機嫌よう。

PS

 音というのは、入魂すればかならず芸術の域に達することができる。

 最近、といっても昨年、私はかねてから念願のKamaka ウクレレ HF-1を購入した。ハワイのホノルルで作られているコア材を使ったウクレレなのですが、このKamakaのウクレレは爪弾くとコロコロと軽やかないかにもハワイアンの音がする。色々験してみたけれど、このKamakaの音色に肩を並べられるウクレレはほかにありません。音が芸術の域に達しているからです。聴くと心に快感を呼び覚ましてくれるからです。音自体に芸術性があるのです。蓄音器館でデモンストレーションに立ち会ってみてご覧なさい。ウクレレでなくても、音の芸術とはなにかを実感することができます。

 八日市屋さんが話してくれたことだが、ビング・クロスビーのホワイト・クリスマスをE.M.G Expert Seniorで聴いたある「おばあさん」はボロボロと涙を零しながら話してくれた。彼女が小さかったころ、彼女の家にもこの蓄音機があって、このビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」をかけながら父親がクリスマス・プレゼントを渡してくれたのだという。この曲を聴いた途端に彼女は「あ、私のおとうさんが出てきた」と感じたのだそうだ。音楽というものは昔通りの機器で昔のレコードで聴かなければ当時の思い出はよみがえらないもののようですね。私は今日、金沢市立蓄音器館で腰を抜かし、涙を流しました。