金  沢  短  信 (3)

                   2014/12/31

 Wikipedia「浦島太郎」は次のとおり述べる。

漁師の浦島太郎は、子供達が亀をいじめているところに遭遇する。太郎が亀を助けると、亀は礼として太郎を竜宮城に連れて行く。竜宮城では乙姫(一説には東海竜王の娘:竜女)が太郎を歓待する。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して開けてはならない」としつつ玉手箱を渡す。太郎が亀に連れられ浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいない。太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、煙を浴びた太郎は老人の姿に変化する。浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では随分長い年月が経っていた。

 ただこうやってひとりで金沢の街を歩き回っていると、私がなにかこう「竜宮城から帰ってきた浦島太郎」のように思われてくる。なにもしていなかったのに歳だけとってしまって、しかも帰って来た金沢には知人もほとんどなくてさながら異邦人の趣きだからだ。

 梅の橋、天神橋をこえて常盤橋近くまでくると卯辰山に登ることができる常磐公園に着く。中腹まで十分ほど登ると平生見慣れていない東方向からの金沢城を臨むことができる。

 長町の菰小路のなかに民家風の鏑木ミュージアムをみつけた。昔から陶器商店としては金沢一と称せられていた鏑木商店の私宅を改造したものであろうか。小さいけれども沢山の人が来ていて大盛況だ。私はがらくた箱に詰め込まれていた九谷焼の小皿を一つ買った。醤油皿に使うつもりなのだ。これが(手書き模様でなく)型押し模様の上に色釉薬を載せただけの安物であることも勉強させてもらった。付いていた値札には¥378と書いてあったのだが、店員が裏を返してみたところ、釉薬抜けのピンホールがひとつ見つかった。これは傷物ですから値引きします、ということで結局この小皿は¥302に値下げされた。高いのか安いのかわからないけれど、とても美しく大いに満足している。

用水沿いの菰飾りも、用水から庭園用に用水が取り込まれている佇まいも素敵。

 所変わって街の中心片町からすこし入ったところから長町がはじまるのだが、薬屋の中屋(現在は老舗博物館)がすばらしい。昔は南町の電停前にあった建物だ。移築されたらしい。

 浅野川右岸の散歩は常盤橋で終点である。常盤橋には昔からゴリ料理で有名な「ごりや」があるのだが、4年前に店を閉めてしまった。その佇まいがいまも残っていて、眺めていても美しい。

中央に見えるのが石川門で、右側に五十間長屋、左に鶴丸倉庫が見える。石川門の右奥に三十間長屋が見える。右端上部の宇宙ロケットみたいのは北國新聞社だ。

 では皆様、ご機嫌よう。

画像:月岡芳年が描く歌舞伎「浦嶋太郎玉手箱」の板東彦三郎。明治初期。

 金沢に来て以来、自分の健康のために朝9時すぎに出発して2ないし3時間散歩するのを日課としているのだが、金沢の街は街自体が公園のような美しさをたたえている。

 浅野川大橋から浅野川の右岸を上流に沿って歩くと、とても美しい。朝の光が川面に照り返し、きらきらと輝く。川縁がすべて手入れされていて公園のようにしつらえてある。

 振り返れば天神橋が眺められる。詩情があふれるような美しい金沢である。

 川にはかもめが来て佇んでいる。

画像:福梅