国立中世美術館(クリュニー)(2)
2014/05/15
画像:
1220-1230年
ルテティア(パリの)石灰石、彩色痕跡あり。
6. ユダヤ王の頭部(1220-1230)・・・
パリのノートルダム寺院出自
1977年第9区20 rue de la Chaussée-d'AntinのL’hôtel Moreauの中庭で発見された。この邸宅は1797年に500人議会の一議員によって建てられたもので、ブリュメール18日(1799)のクーデターが計画された場所。 もともとはパリのノートルダム寺院の西正面の王の回廊にあった像が、フランス革命の際破壊されてこの土地に埋められた模様。
説明:Connaisance des Artsから
マタイ福音書に言及されているところによれば、聖母マリアの祖先はユダヤの王であったという。ということから、これらが寺院の正面に在ったという事実は、これらが聖母へ献納されたことを意味する。王の彫像は28体あり、それぞれ3.5mの高さであった。もともとは彩色されていたのだが、顎髭と王冠をつけ、流れるようなローブを纏っていた。これらの王の彫刻が破壊されたのは1793年のことである。
5. 預言者像(12世紀第二・四半期)・・・
サン=マルタン=デ=シャン寺院出自
大胆な造形で凄まじく迫力があります。これは傑作。松下幸之助のような巨大な耳。
画像:キリスト磔刑像
オーヴェルニュ
12世紀後半
ポプラ、彩色
ルピュイ=アン=ヴレのエルサレム・サン・ジャン騎士団の旧本営出自
画像:聖人像の胴体部分
パリ、1210年頃
ルテティア(パリの)石灰石
4. 12世紀の磔刑像・・・ルピュイ=アン=ヴレ
ブラッセルで作られたタペストリー、1800年頃
トスカーナ
1220-30年頃
木
高さ171cm
プラート大聖堂
素晴らしく美しいのが、
番外:十字架降下像下の聖母マリア
12世紀と13世紀には実物大の十字架降下像が流行した。悲しみの聖母マリアの背の高い、痩せた姿は、手だけが見える長い衣裳を身につけ、その手は十字架を握っている。感情を抑制し生き生きと描くことにより、曲線の揺らぎが生じている。人物のもつ神がかった雰囲気は顔の優しさとかすかな彩色によって相殺されている。この彫刻はビザンチンの伝統と13世紀トスカーナのゴチックの影響をあらわしている。(説明:Connaisance des Arts, “The Musee de Cluny and its Collections”, SFPA)
最後にタペストリー室から一枚。
では皆様、ご機嫌よう。
8. タペストリー「貴婦人と一角獣」
(15世紀)
9. 15世紀の教会木彫、種々
8.と9.については省略。
7. 聖人の胴体(1210)・・・同
画像:
預言者
パリ(サン・マルタン・デ・シャン)
12世紀第二・四半期
石灰石
購入1998