3. 柱頭彫刻(1030-40)・・・サンジェルマン・デュプレ寺院出自の12個
2. 背教者ユリアヌス帝像・・・4世紀末
左の写真(フリギダリウム)の後方中央に見える像なのですが胸から下は模刻だと思います。
画像:この三人グループはけっこう年寄りで、顎髭を生やし、楯と槍を持つ。Iurises と記銘されている。出典:Wikipedia: Pillar of the Boatmen
国立中世美術館(クリュニー)(1)
2014/05/15
パリの街ではもっとも古い遺跡であるガリア・ローマ時代の浴場跡に作られた修道院がいまや中世美術館となっているのです。この浴場跡を除けば次の1.から7.までが興味をそそられるところです。
クリュニーと言えば「貴婦人と一角獣」のタペストリーで有名なのでしょうが、今日は趣向を変えて、古い物順で見て行くことにしましょう。
一番古いのはなにをさておいてもこの建物で、ローマ時代の浴場跡が観察できることできることは素晴らしいことです。
写真:フリギダリウム(冷水プールのあった場所)
写真:À mon seul désir (我が唯一つの望み) 未婚女性が貴婦人に宝石箱を提げている。
画像:若い男三人のグループで楯と槍を持つ。出典:Wikipedia: Pillar of the Boatmen
これらが再発見されたのは
1711年 ノートルダム寺院の聖歌隊席
の地下
1724年 ルーヴル宮殿
1795年 フランス祈念碑博物館
(シャイヨー宮)
1816年 ルーヴル博物館
1822年 国立高等美術学校
1844年 美術館入口
というからパリ市民は気が長いですね。
「船乗りの柱」とタイトルがつけられている。「船乗り」とはセーヌ河で物流を行っていた運輸業者の意で、ありあまる財力でこのゴール・ローマ時代のルテティア・チビタ(現在のパリ)の寺院のジュピター神(神々の王で天の支配者)へ献納した柱なのですが、その後取り壊されて各層が半分に裁断されてセーヌ河の護岸材料として使われていた。
画像:ケルヌンノス(ケルト神話の狩猟の神にして冥府神)
1世紀、石灰岩、47 x 75 x 74cm
説明:ティベリウス皇帝(西暦14-37年)統治の日付のあるこの奉納記念碑は船頭達の協力で作られた。この船頭達はセーヌ河とその支流で交易の任にあたっていた。ローマによる征服後の典型的な混合主義のスタイルであり、種々の神々を結合させている。たとえば、ジュピター(神々の王で天の支配者)とウルカヌス(火と鍛冶の神)をケルヌンノスのようなゴール(古代ケルト人の地)の神々と結合させるのである。事実、鹿の枝角を頭につけたこの神の名前を教えてくれるのは、この柱に刻まれた印銘である。出典:Connaisance des Arts
写真:クリュニー中世美術館。朝一番で行きましたら沢山の参観者が開門を待っていました。
1. 船乗りの柱・・・ローマ・ガリア
画像:Pillar of the Boatmenの復元模型
(翻訳)
船乗りの柱は正方形断面の浅浮彫を施した石柱であり、ガリアとローマの種々の神々が描かれている。機嫌1世紀の第一・四半期の日付が記されていて、もともとはルテティアのガリア-ローマ都市(現代のパリ)の一神殿に建てられていたもので、代表的なガリア芸術の最も初期の作品の1つであり、碑文が彫り込まれている(Hatt, 1952)。クリュニー浴場のフリギダリウム(冷水プールのある部屋)に展示されている。
写真:Google Map, 2014から。美術館西側サン・ミッシェル通りから浴場跡が眺められる。