付録
ルーヴルのCellini作品「フォンテーヌブローのニンフ」
フランソワ一世が注文して作らせた作品なのだが、フォンテーヌブローには飾られることのなきまま、現在はルーヴルに展示されている。
写真:三位一体修道会礼拝堂の二階部分
さて、最初にフォンテーヌブロー城について説明しておきましょう。
このお城、雨のなかでは黒ずんでいて陰々滅々だが、中に入ってみるとその豪華なこと。ヴェルサイユよりもはるかに雅だ。また、ヴェルサイユよりもはるかに古い。宮殿としてはヴェルサイユよりも大きくてフランス最大だ。
写真:法王又は王太后のアパルトマン
フォンテーヌブロー (1)
2014/05/22
彼はもともとロワール川のアンボワーズ城に住んでいたのだが、結婚してブロワ城に移り、王妃の死去とともにフォンテーヌブロー城に引っ越し、この城をルネサンス様式のシャトーに改築した。
イタリア戦争に勝利をおさめ、ミラノ公国を占領してレオナルド・ダ・ヴィンチを招聘したのはアンボワーズ時代だが、彼はイタリアから、ルネサンス文化と芸術を取り入れた。のみならず、息子アンリ2世にイタリアきっての商人であるメディチ家から嫁を迎えた。カトリーヌ・ド・メディシスは大ロレンツォの曾孫である。
本当かどうか知らぬが、カトリーヌは、それまで手づかみで食事を食べていたフランスの宮廷にナイフとフォークをもちこんで宮廷人に「躾」を覚えさせたというのである。
歴史的にもこの宮殿はフィリップ二世尊厳王(在位1180-1223)や聖王ルイの時代から存在したのだから、12世紀から、日本でいえば平安時代末期から、存在していたことになる。
それで結局どうなったかというと、フォンテーヌブロー・アヴォン駅に到着するまで車掌は来なかった。また、フォンテーヌブロー・アヴォン駅は開放駅舎であったから、改札口というものがなかった。そこで自動的に無賃乗車になってしまった。好んでそうしたのではありません。その場その場で最善をつくしたのですが、結果的に私から運賃をとりあげてくれる人が出て来ませんでした。ほんのちょっぴりラッキー。乗車時間約40分。
画像:
ベンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500—1572年)
《フォンテーヌブローのニンフ》
1542—1572年
フォンテーヌブロー宮の金の扉の為に1542—1543年制作(現地未設置)。フィリベール・ドロルムにより1551年から1555年の間にアネット城入り口扉上部に設置、革命期まで在留。
ブロンズ
高さ 2.05m、幅 4.09m
日本語説明
外では雨。小学生の団体が篠つく雨のなかを歩いている。
画像:フォンテーヌブロー城入城の栞から。一部修正
(続く)
写真:サン・サチュルナン礼拝堂。
写真:今朝はリヨン駅から出発
このマシーンは、スイカのようなプリペイド・カードか、あるいは硬貨しか受け付けないのだ。私はフランス国鉄のスイカは持っていない。硬貨で払おうにも、料金は8.20ユーロなのに小生は6ユーロしか持ち合わせがない。結局販売機では切符は買えなかった。駅員に聞いたら、「汽車の中でも切符は買える」と言われたので、そうすることにした。悪くすれば罰金覚悟の腹をきめたのである。
駅前から1番のバスに乗り、約10分でフォンテーヌブロー城に到着。あいにく雨が降り出しました。
写真:王の住居棟の陶器の飾り壷
今日はホテルの近くのリヨン駅からフォンテーヌブローへ出発だ。リヨン駅のインフォメーションで調べたら、hall 1のJプラットフォームで8:49出発の地域圏急行TERに乗ればよいということがわかった。しかし、そのあとが大変だった。
駅の切符売り場で切符を買おうと思ったのだが、切符売り場入口で入場を断わられ、切符マシーンへ行けと言われた。緑色のマシーンで英語を選択し、いざ購入することになって、このマシーンには紙幣を入れるスリットがないのに気がついた。
写真:フランソワ一世の回廊
私たちが見てまわるのは次である。
画像:フォンテーヌブロー城観光の栞から
画像:フォンテーヌブロー城入城の栞から
写真:緑色の切符販売機(これは東駅の販売機ですが)
写真:正面玄関。これがルネサンス様式というのでしょう。