プ ロ ヴ ァ ン (2)
2014/05/23
画像:プロヴァン観光案内所「観光ガイド」から
画像:プロヴァン観光案内所「観光ガイド」から
画像:Thibaut de Champagne
ティボー4世 (Thibaut IV de Blois、1090年から1095年までの間に出生 -1152年1月10日)は、ブロワおよびシャルトル伯。シャンパーニュ伯としてはティボー2世となる。ティボー大伯(Thibaut IV le Grand)とも呼ばれた。
外では遠足に来た幼稚園児達が「両替所の十字架」の下で休んでいました。
これで丘の上のプロヴァンは見終わりましたので、シャテル広場にもどり、観光案内所の青年の勧めにしたがって「La Fleur de Sel(塩の花)」というレストランで昼食を食べました。ステーキでしたが、まことに素朴な味でした。
城壁と城塞
そのとき持ち帰ったバラは、
伝説なのだが、このティボー4世がダマスカスからバラの原生種を持ち帰り、これが発端となって、プロヴァンはバラ製品の産地となった。バラの膏薬やバラ油が現在でも作られている。
調べてみると、ティボー4世が出かけていったのは第二回十字軍で、なんとかパレスチナにたどりついた軍勢も、当時十字軍国家と友好関係にあったダマスカスを攻撃したが失敗し、フランス王らは撤退した。(説明)
とすれば、十字軍遠征に参加したのは彼が52歳の頃、彼が死ぬ5年前のことだったことになる。
プロヴァンとバラの花
十分の一税小屋は見終ったので、周辺を歩き回ったのですが、訪れた時期もよかったのでしょう。この町は花で満ちあふれていました。
プロヴァンの旅行はこれでお終いです。
では、皆様、ご機嫌よう。
画像:プロヴァン観光案内所「観光ガイド」から
このバラには伝説があるのです。
画像:プロヴァンのバラは十字軍の際、シャンパーニュのティボー4世によって持ち帰られた。「ガリア・ローズ」とよばれており、耐寒性で世話の必要がない。花びらは香膏(バーム)と香油の製造に使われた。