油屋熊八翁

1863年、四国宇和島の米問屋の長男として生まれた。明治25年、30歳で大阪へ行き米相場師となり、油屋将軍の異名で呼ばれたが最後は失敗、35歳で渡米した。3年後、帰国し大坂に戻る。

 明治45年、別府に移り住み亀の井ホテルを経営し、別府観光発展に努力する。「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」のPR看板を富士山麓に立てる。世界に通じる温泉マークを発案する。また、亀の井バス会社を設立し、地獄めぐりの観光案内に全国で初めての少女バスガイドを乗せ話題を集める。全国大掌大会や熊本を経て長アまでの九州横断観光道路の建設を提唱し、湯布院にも亀の井別荘を建て、九重町までの道路(やまなみ)も売り込んだ。

 別府を世界に広めるため、アイデアとユニークさを持った別府民衆外務大臣として活躍した別府観光の先覚者である。1935年、73歳で没す。

(出典:別府公園西出口付近の油屋熊八翁祈念碑から)

鉄 輪(かんなわ) 温 泉 (2)

              2013/10/3111/06

 鉄輪からバスに乗って、前回は休日で入り損った明礬温泉の一番上の温泉「明礬山の湯」で一風呂あびさせてもらいましたが、「明礬」と名がつくならば、もっと白濁していて当然なのに、硫黄臭もあまり感じられない有難味の少ない温泉でした。残念。岡本屋系はすべて同じ泉源のようです。

 初めの三日間は、まだ病が残っているようでしたが、その後ようように回復してきたので、毎日二時間散歩することにしました。双葉荘から二時間歩きますと別府駅に到着します。別府駅には前回訪問のときもご紹介した油屋熊八銅像が待っています。

画像:日本絵巻大成 別巻 『一遍上人絵伝』中央公論社 1978  P195

解説:
 もっと後年、一遍
45歳のころのこと、場所は京都なのですが、

 空也上人の遺跡市屋の道場(京都)弘安7(1284)
 空也の威徳を慕う一遍は、この地に道場を建て、48日間もの踊り念仏を興行した、という。
 トントン、ドンドン、カンカン、ジャンジャン。舞台の上は、僧達の狂態が、果てしなく続けられている。
 舞台の中央、金銅(こんどう)の鉦鼓(しょうこ)を打つ一遍の横顔が見える。

画像と説明:地獄めぐりは別府観光の最大の目玉といえる。しかし、当時は貸切り馬車で250銭、庶民にとっては大変な負担であり多くの人は一日がかりで歩いていた。 そこで別府観光の父「油屋熊八」は昭和2年に遊覧バスを取り入れ1円で回れるようにした。わが国最初の少女車掌による七五調の美文解説は大当たりであった。

 足かけ8日間滞在し、睡眠中はよく汗をかき、温泉に飛び込み清潔をこころがけ、快適に暮らしました。双葉荘の滞在費は素泊まりで一泊¥3,850程度でした。建物は古いが、木組みがしっかりしていて問題はなさそうです。経営者の伊藤さんは高齢になられたようで、ちょっと可哀相。

地面の温度が高くて、その所為でしょうか、蚊がときどきまいこみます。最近、プシュッと一吹き「蚊とりミスト」という殺虫剤がありますから、これを使いました。

私は蓼科という辺鄙な場所に住んでいますから、新幹線を使い片道¥18,000も遣いましたが、東京からならLCC Jetstarという格安フライトがあるようです。これなら片道1万円でお釣りもでるかな?

そういうわけで、寒さが嫌いな年金生活のおじじ達には格好の避寒場所という感じ。

では皆様、ご機嫌よう。

 鉄輪地獄原のなかでもっと入場者数が多くて流行っていたのが、北側にある「熱の湯」です。別府市の経営で入浴料は「無料」だし、湯温が高くて爽快です。ちょっと建物が古すぎて不潔感がありますが、大入り満員でした。鉄輪温泉は蒸気が噴き出すけれども、鉄輪の温泉はせいぜい40度程度のぬるゆですから、高温湯の愛好者にはちょっと物足りないかも知れません。

写真:「明礬山の湯」から眺めた鶴見岳。手前の紅葉はハゼ。

画像

 一遍という人は1239年鎌倉時代に道後温泉の宝厳寺で寺の息子として生まれ、10歳のとき出家し、13歳のとき、太宰府で法然の孫弟子にあたる聖達(しょうたつ)のもとで12年間浄土教学を学んだ。父の死をきっかけに25歳のとき還俗して伊予に帰ったが、文永8年(1271年)32歳で再び出家した。各地を転々として、六字名号を記した念仏札を配った。

 建治2年(1276年)には九州各地を念仏勧進し、他阿らに会い、彼らを時衆として引き連れるようになる。(出典:日本絵巻大成 別巻 『一遍上人絵伝』中央公論社 1978から抜粋)

写真:港には巨大なクルーズ船も接岸している。プリンセス・クルーズ。

 どうやら昔から、鉄輪は別府の中心だったようです。

 双葉荘のすこし上手にある鉄輪蒸し湯は、一遍上人が開いたという言い伝えがあって、一遍上人の像が立っています。

写真:一遍上人の像(左)と一遍が荒れ狂う水蒸気を鎮めて作ったとされる「蒸し湯」

画像Tシャツまで売り出されている人気者。

写真:上人ヶ浜の海浜砂蒸し湯(左)と海浜でくつろぐ人