「サントノーレ門」注記 (2)

19テルヌ門

画像:テルヌ門(テルヌの入市税関)

181739年のトゥルゴー地図

画像Plan de Turgot 1739

171705年のフェ地図

151609年ケスネル地図(部分拡大図)

画像:2014/05/13撮影。

部分拡大図

81609年のケスネル地図
        部分拡大図

画像:二十区に分割されたパリの八番目の地図、N. de Fer による

161615年のメリアン地図(部分拡大図)

画像:弩に取付けられたcarreau

画像12-15世紀の鏃(carreau d'arbalète

画像the plan de Bâle (Basel plan). c. 1550

画像1615年メリアン地図

画像Plan de Quesnel 1609

14 :サントノーレ門、シャペル村とサンドニ大修道院の位置関係

13:サントノーレ通り163番地にあるジャンヌ=ダルクのプラーク

12carreau d'arbalèteカロ・ダルバレト、弩の矢)

シャルル五世城壁はパリの市壁の一つであり、1356年から1383年にかけて建設された。これはセーヌ河の右岸で、フィリップ・オーギュスト城壁の外側に建設され、フィリップ・オーギュスト城壁に取って換わった。(フィリップ・オーギュスト城壁の取り壊しは1533年)。1640年台にシャルル五世城壁の西側は取り壊され、取り壊された旧壁の材料を用いてもっと大きなルイ13世城壁が建設された。この新しい囲いは1670年台に全面的に取り壊され、グランド・ブールヴァードが作られた。

11The wall of Charles V

右上に見えるのはルーヴル要塞(現在のルーヴル博物館本館)で、右端がセーヌ河、中央下にシャルル五世城壁が描かれ、サントノーレ門が見えます。パリから西方郊外に通じるたった一本の街道ですし、西方の敵にたいする防禦目的もあったのでしょう。頑丈に作られています。城壁の外側には水濠が掘られ、さらにその外側に空壕が作られています。門の目的は街の防衛と入市徴税の二つでした。

101550年頃のバーゼル地図(画像

 先にも引用した1550年頃のバーゼル地図(画像)が、ジャンヌ=ダルクの時代の(1429年当時の)サントノーレ門をくっきりと描写しています。

91615年のメリアン地図
        部分拡大図