デンビー号最初の船長

レット・バトラー(Rhett Butler)は、チャールストンの名家出身だが紳士的に振舞おうとせず、うわべの愛国心を装うことなく世間の反発をかう。スカーレット同様、極めて計算高く機敏で貪欲、身勝手なエゴイスト。父親から勘当され社交界からは締め出された。しかし社会を常に冷静に見ており、考えはむしろアシュリーに近い。戦争が始まる前から南部の敗戦を予測し、軍隊には加わらず北軍の封鎖を破って商品を投機的に売り巨万の富を築き、戦後は莫大な公金を横領した海賊的紳士。スカーレットをアトランタからタラに送る途中に傷ついた少年兵を見て軍に志願する。

スカーレットを愛しているがなかなか本心は見せようとせず、彼独特の方法で求愛を続けた。長い恋路の末スカーレットと結ばれた。ずうずうしい性格だが、意外にも子供好きで特にボニーを溺愛していた。最後にはスカーレットへの愛に疲れ、彼女の前から去る。

デンビー号の最初の船長、アブナー・M・ゴッドフレー

付属資料

風と共に去りぬ』の中でレット・バトラーは成功した封鎖ランナーとして描かれている。

 アブナー・M・ゴッドフレイが生まれたのは、メイン州で、1825年か1826年のことであった。1859年よりすこし前、彼はアラバマ州モービル(上図は戦争中のモービル)に移住した。というのも、その年のシティー住所氏名録には彼はバトル・ハウス・ホテル居住の港湾労働者として記録されているからだ。その翌々年1861年版にはまたもや港湾労働者となっているが、住所はセンター・ストリートのサイラス・ボウアーという名前の下宿屋になっている。彼が港湾労働者として記録されているのはおかしい。というのも、合衆国による封鎖が宣告されてからしばらくして、彼は連合国の公吏として英国へ渡ったからだ。

1863年半ばまで、ゴッドフレイとその妻はカーディフに住み、連合国のための石炭担当代理人となっており、封鎖ランナーのために良質のウエールズ炭を購入していた。1863年秋、彼は新しい封鎖破り船デンビー号の船長に任命された。船長とゴッドフレイ夫人は1019日ハバナに向けて出港した。

 封鎖破りを試みる船の船長にはかなりのリスクがつきまとう。だが、報酬はきわめて高かった。上手な船長のサラリーは、合衆国艦隊をすり抜けて一回の航海を行うたびに、金貨で5ないし6千ドルに達したようだ。ゴッドフレイ船長はデンビー号の指揮をとった間にちょっとした財産を築いたと考えてもおかしくはない。というのも、戦後、彼はモービルの街のバトル・ハウス・ホテル(上図)を買取ったからだ。このホテルは、ほんの数年前に彼が港湾労働者の住居として賃借りしていたまさにそのホテルであった。

原典:Abner M. Godfrey: Denbigh's First Master


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