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道端の大木は、クワの木だったそうです。  

 

2の鳥図板に到着。  ウクイスの鳴き声は聞こえますが鳥影は見当たりません。 

 見たのはカラス、カアと鳴くのは町や山にいるハシブトガラス、

ガアと声の悪いのは、平地や低山にいるハシボソガラスだそうです。

キツツキの仲間のゲラの話、シジュウカラの仲間のカラの話をしていただきました。 

 ここの鳥図板には、お目当てのイカルの絵がありました。 

 四月の探鳥会では、見かける事が多いそうです。 

 同じく、月日星と鳴くサンコウチョウも先生の誕生日に自宅の前に姿を見せた事もあったそうです。 

 オオタカの絵もありました。 

 探鳥会でも何度か出会った事があるそうですが、最近は見かけなくなったそうです。   

鉄平石運搬の索道跡。  正一位稲荷大明神。 

福井稲荷、道の脇には、色々な祠がありました。  

地蔵寺のうら山でもあり、聖地なのがもれません。 

 鹿にやられた木。 

  このあたりは、鹿・カモシカ・野兎等も良く出てくるそうで、写真で説明して下さいました。

  ミヤマハコベ。
この辺りにも畑があった様で、ちょっと開けた所がありました。
   
   

最後の鳥図板の所に到着。 

 この辺りも鳥が良く出てくる所だそうで、ベンチも置かれていました。 

 今日は風が強いせいか、鳥の声はすれども姿はなかなか見せません。

  赤い樹液を流す木がありました。  

ミズナラだそうで、春先は傷口から大量の樹液を出すそうで、

樹液菌のフザリウムが発生、その中でも赤い色素の菌はファフィア酵母と呼ばれ、

赤い色素はアスタキサンチンという抗酸化作用のあるものだそうです。

   

砂防ダムの近くの林に、大きな巣箱がありました。 

 ダムの上の方に、自然木のフクロウの巣があるそうですが、

巣となる自然木も減って来たので、巣箱を作ってみたそうです。

 入口の黒塗りのハッポウスチロールは、鳥が入った跡がわかる様にしたものだそうです。 

1988年に、台風10号の集中豪雨で福沢山の崩壊もあったそうで、

砂防ダムもそれ以降に造られたものでしょうか。  

 何段かに渡って造られたなかなか大掛かりなダムでした。 

  帰る頃になってやっと風も治まり、日差しも林に差し込む様になった所で、

鳥達も少しづつ姿を見せる様になってきました。

  遠くでちょっと大型の鳥が動きました、ヒヨドリでした。 

 メジロやオオルリも姿を見せた様ですが、私には見つかりませんでした。 

ヤマガラ。 キビタキ。
   
ちょっといっぷく:地蔵寺  
昼の弁当は、マリオさんの方で用意して下さいましたが、

篠崎先生の御実家が地蔵寺さんだとかで、食事処として場所を提供して下さいました。

   地蔵寺さんには
2006年の41回のマリオ倶楽部で一度お邪魔していますが、

本堂は平成
21年・2009年に再建されたそうで、新しい本堂を訪れるのは今回が初めてです。 
   

庫裏にあった中村不折の額。

庫裏にお茶を用意して頂き、お弁当をいただきます。 

  まずその前に、ビールで乾杯。  渇いたのどを潤します。 

      ゆっくり食事を済ませた後で、新装なった本堂を見せていただきました。

   
愛宕山地蔵寺:曹洞宗  
   

旧本堂と似た造りで、奥には下諏訪出身の書道家・吉澤大諄氏の書・霊機の額と、

高島城門の開閉の合図に使われた・時の太鼓が置かれていました。

   

尊・延命地蔵大菩薩。 

 秘仏だそうで前回は拝む事が出来ませんでしたが、今回は拝観できました。

   
   

新しい本堂にも殿様の休憩の部屋だった所と同じ様な造りの部屋もあり、

そこには以前と同じ出山釈迦像の軸が掛かっていました。 

 地蔵寺は安土桃山時代になって、諏訪頼忠が徳川氏の家臣となり、

この地に復活、中洲に金子城を造った時に鬼門の守りとして開基したのが始まりだそうです。

  江戸時代になって城も高島城に替り、高島藩三代藩主・諏訪忠晴が、

高島城鬼門除けの寺・高島藩の祈願所として現在の地に移されたのだそうです。

   山号の愛宕山は、当時愛宕信仰もはやりだしたそうで、境内に愛宕神社も祀ったそうで、

そこから山号を愛宕山としたのだそうです。 

 明治の神仏分離により、神社の管理も別になり、

御柱も和菓子組合の方で行って来たそうですが、

組合員も減少次回の御柱の役も返上されたとか、

次回からは又江戸時代に戻って、寺の檀家衆か地元の皆さんで行うのかもしれません。 

 寺には、本地仏の将軍地蔵尊も残されているとか。

   

上社神宮寺普賢堂の欄間。   旧本堂にもあったものです。

愛宕宝山・山岡鉄舟の書だそうです。  

 新しく加わった天井画・観音百態図は、天台宗の日本画僧・石田蒙澄氏の作品だそうです。

   

天龍道人の襖絵・旧本堂では下社神宮寺の天龍道人の額が掛かっていましたが、

この襖絵も下社神宮寺に有ったものかもしれません。

   

トイレの前には、鳥葛沙摩明王が居られました。 

 禅宗の東司の神だそうで、松代の長国寺・曹洞宗を訪れた時にもありました。 

 最後に日本百庭園の一つでもある、お庭を見せて頂き寺を後にします。

庭は市指定の名勝にもなっており、以前のままだそうです。 

 寺の出来た時・江戸初期の池泉鑑賞兼回遊式の庭園で京の庭師によるものだそうです。 

 曽良の句碑も庭に調和して建っていました。

   
   
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