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獨股山前山寺:真言宗智山派  

 

次に訪れたのは、前山寺です。  

この寺は平安初期に空海が護摩修行の霊場として開創したそうで、

手塚太郎の頃にはすでに存在していた事になります。 

 黒門脇の二手に分かれた六地蔵さんに見守られた参道を行きます。

四列の石畳は昭和51年に皇太子殿下が来られた時に造られたとか。 

 大欅、樹齢は700年ほどだとか。

石流水碑・会長さんに中華民国初代総統・蒋介石にまつわる話をしていただきました。 

 参道の並木は赤松が主だったそうで、市指定の天然記念物にも指定されているそうです。

藥医門。   
薬医門脇の石灯篭には六地蔵が刻まれていました。

前山寺は、どうしても三重塔に目が行ってしまいますが、重厚な造りの寄棟茅葺の本堂もすばらしいです。

 唐破風の向拝に刻まれた本の字は、多くの末寺の中での本寺を表すものだそうですが、

見る場所を変えると防火の水にも見えるそうです。 

建てられたのは何時かはわからない様ですが、彫刻を見ると庫裏と同じく江戸末かもしれません。

本堂・本尊の大日如来。 宝篋印塔。 

屏風絵・襖絵もすばらしい。

大きな碑に刻まれているのは、アビラウンケン・大日如来に唱える真言だそうです。

庭には古そうな五輪塔がありました。 

 階段脇にあったモクゲンジ、以前訪れた時はクロモジかと思っていましたが、

クロモジの仲間のモクゲンジだそうで、黒い実がクロモジより多少小さいそうです。

   

ここ前山寺に、マリオ倶楽部で訪れるのは今回が3回目でいずれも10年ほど前になりますが、

三重塔を始めお寺の雰囲気も当時と変わらぬ落ち着きを感じます。

  前山寺は、開創は平安初期ですが、長秀上人が、開創時の正法院を

現在の地に移し前山寺として開山したのは南北朝時代へと変わる時期だそうで、

塩田北条氏が、鎌倉へ引き上げる2年ほど前だった様です。 

 その後、塩田城は信玄が進出してくるまでは、村上氏の支配下になったそうです。

  北条氏の居た時は、塩田城の位置づけも重く祈願所となった前山寺も急速に発展し、

常法談林書として四十数ケ寺の末寺を持つ様になったそうです。 

  三重塔が建てられたのは、室町時代後期になってからだそうで、

村上氏も小県一帯を支配する様になり、塩田城の存在価値が下がって

あまり建設資金援助が得られなかったのか、時代の代わり目も近く政情不安で大工集団が手をひいたのかは、

わかりませんが、塔の建築は完成を待たずに終了しているそうです。  

塔の高さは19.5m、和様(80%)、唐様・禅宗様(20%)の折衷の建物だそうです。 

 一層は完成しているが、二層三層は、扉も窓も無く、縁と手摺も無く貫だけが造られているそうです。 

 軒の垂木は、和様の平行垂木で、一層には唐様の造の木鼻が付いてすますが、

眼の位置が高く、低脳の木鼻と呼ばれる事もあるそうです。 

 北側・二層には大日如来、一層には釈迦如来、一層西に阿弥陀如来、

南に寶生如来、東に阿閦如来と五智如来の扁額がかかっていました。 

 塔の内部は見て居ませんが、須弥壇があるが、四天柱はなく、格天井になっているそうです。 

  須弥壇の上には大日如来を中心に、五智如来が並んでいるのかと思っていましたが、

木製の五輪塔と上人像が置かれているだけだそうで、ガランとしているとか。

二層・大日如来扁額。 一層・釈迦如来扁額。

鋳鉄製の相輪・露盤の上の丸いのが伏鉢・仏舎利入れ。 明王堂の屋根。

前山寺のくるみおはぎが名物だそうですが、時間切れで今回もお預け、次の中禅寺に向かいます。

龍王山中禅寺:真言宗智山派  
   

中禅寺に向かう途中に、三代続いた塩田北条氏の城跡がありました。

 城は弘法山全体を砦とした山城で、中世城郭としては県内最大級の規模だったそうです。 

 本堂前を通って、仁王門へ向かいます。  

本堂への参道脇の箒状の木はホウキザクラだそうで淡紅色の花が咲くそうです。

金剛力士像(県指定文化財)は、桂の寄木造りで平安末期の穏やかな表情の作りになっており、

全国的にも平安のものは数少ないそうです。

  信州では一番古いものだとか。 

 今日は御住職もおられ、解説はありませんでしたが、薬師堂の中を見せて頂ける事になりました。

中善寺は、空海の雨乞い祈祷の草庵が獨鈷山山頂付近に造られたのが始まりだそうで、

平安末期になつて安然坊がこの地に移し開山したのが始まりで、

鎌倉初期に薬師堂(国指定重要文化財)が造られたそうです。 

 方三間阿弥陀堂形式の建物で、平泉中尊寺金色堂と同じ造りだそうです。 

 四天柱に囲まれ中央に須弥壇の置かれた古い形式だそうです。 

 しばらくは、皆さん薬師如来様を拝観します。 

 横山先生がおられたら、お経の一つもあげられたところかもしれません。

   

薬師如来坐像(国指定重文)は、カツラの寄木造りで、平安末期のものだそうです。 

 台座に流鏑馬の墨絵があるという事で探しましたが見当たりませんでした。  

あとで調べたら墨絵があるのは、台座の下の受座の面で台座が乗っているいるので、通常では見えない様です。 

 光背・薬瓶・蓮華座等かなり破損もありますが素敵です。

須弥壇の上には、もう一体仏象がありました。 

 十二神将(重文)一つだそうですが、支獣が欠けているので名前はわからないそうです。

  ヒノキの寄木で作られた南北朝末期の作品だそうです。 

 時代・大きさのバランスから見ると、他の堂から移された可能性もあるとか。

   

薬師堂の裏の五輪塔(市指定有形文化財)を見に行ってみました。 

 前の石垣も整備されて、10年前に訪れた時とはどこか違ってみえましたが、

大きなウワズミザクラの根元にあるので、場所は変わっていない様です。  

   

中禅寺は、前山寺の末寺だそうで、本堂は何度かの火災に合い今の本堂は江戸末期に建てられたものでそうです。 

 本尊は延命地蔵菩薩。

   
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