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第百七十二回自然と歴史探訪[東堀ものがたりその二・渡辺家の人々]

郷土学習館。 中国の窯(江戸中期)千冬が満州からの帰りに入手。

郷土学習館:

今回は一昨年9月に行われた、147回のマリオ倶楽部・東堀物語に続くそのAとして、

前回時間切れで訪れる事が出来なかつた渡辺家とそれに連なる渡辺家の人々を中心に訪ねる事になりました。 

  今日は木曜日、郷土学習館は休館日だそうですが、お願いして特別に見学させていただける事になったそうです。  

  お願いした時間にはちょっと早いという事で、会長さんが用意して下さった年表で、

三大臣の経歴について1回目の復習をしました。 

   年表にして見ると、三大臣の活躍した様子が良くわかります。  

 郷土学習館では、開館15周年を迎えたと言う事で、1023日から3日間、

記念展が行われたそうですが、展示されたものをそのまま残しておいていただいたとか。 

   今回は、そんな中で渡辺三大臣についての最近の調査状況や、

新しく見つかった父・斧蔵氏の絵のについて、そして三大臣とも繋がりの深い、

東京都フィルハーモニーの指揮者、渡辺暁雄氏についても説明して頂こうという事で、

岡谷市文化財保護審議会委員で、郷土学習館研究員もされている宮阪さんと、

同じく研究員の藤森さんに講師をお願いしてあるそうです。  

 今日は、小雪のぱらつくちょつと寒い日になりましたが、バスで郷土学習館へと向かいました。  

  学習館では、館長さんと、講師の2人の先生が我々を迎えて下さいました。

独身・国武が世話になっていた妹の高山逸子へあてた書簡。

ここで、三大臣についてちょっと復習。 

  千秋・国武兄弟は高島藩散居武士・渡邊斧蔵の次男・千秋と三男・国武として生まれたそうですが、

両親は若くして亡くなり祖母の手で養育されたそうです。 

 三男・国武は小池家の養子となり、中央に出てから再度渡邊姓にもどしたそうです。

  二人とも、藩校の長善館で学んだそうですが、明治元年、国武が高島藩担当の京都御所の警備にあたって居たさいに、

大久保利通がその人物を見込み、明治4年伊那県に出仕していた千秋・国武兄弟を東京呼び出し、

中央官庁・民部省勤務としたのだそうです。 

  千秋は、明治10年には西南戦争の中、鹿児島県大書記官として赴任、

11年には大久保利通が暗殺、12年には鹿児島県令として勤めをはたしたそうです。 

 後に京都府知事・宮内省内匠頭となり、明治43年に宮内大臣・伯爵となったそうです。  

 国武は明治25年第二次伊藤内閣の大蔵大臣・長野県最初の大臣となつたそうです。 

  明治27年の日清戦争の金庫番としても活躍したとか。

  第4次伊藤内閣の大蔵大臣も務めたそうですが、緊縮財政に対する閣内不統一で伊藤内閣は総辞職、

これを期に政界から身を引いたのだそうです。 

 千秋には9人の子供が居たそうですが、2人は早世し、次男・千春が千秋の後を継ぎ、

三男・千冬は独身だつた国武の養子となったそうです。

  千冬は明治41年に若くして衆議院議員に当選、昭和4年には司法大臣になったそうです。 

  次女・千夏は銀行家の塩川に嫁ぎ、その三男・野依金城氏の長男・野依良治氏はノーベル化学賞を受賞したそうです。  

 展示された系図を見ると、いろんな人物に繋がっているのがわかります。

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