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雨は小降りにはなりましたが、多少降っています。 

  トンボ観察園には東屋もつくられており、ここで改めて先生の紹介、

そして先生からは駒ヶ根の紹介、、ハッチョウトンボ、メダカの話をしていただきました。 

 池ゃ湿地は小さなものですが、小さなハッチョウトンボにとっては、

100倍の大きさの世界であり生息には十分な広さだそうです。

東屋には、ここ南割公園での観察資料等も置かれていました。 

  ひとわたりお話を聞いたところで、さっそくお目当てのハッチョウトンボを探しに湿原へと向かいました。 

 

  ハッチョウトンボはスゲ科の植物を好むそうで、草むらを探しても最初は、なかなか見つかりません。 

  なれるにしたがつて、あちこちに赤い雄がみつかり、さらになれると縞の雌も見つかるようになりました。

ハッチョウトンボは青森を北限とする日本全体に生息するトンボだそうですが、

湿原が無くなるにつれて激減し今では生息する所も限られ、湿原指標昆虫になっているそうです。 

  駒ヶ根では市の昆虫にも指定されているとか。 

  大きさは2cmほどの世界最小のトンボだそうです。  

  名古屋市矢田八丁畷に多く生息していたので、八丁トンボの名がついたとか。 

  ここでは今年は5/17日に羽化が観察できたそうで、生息期間は3ケ月ぐらい、9月中旬までは飛んでいるそうです。 

  羽化の最盛期は6月、クモ、モウセンゴケ、大型トンボ、小鳥等天敵の多い環境ですが、

そのままの環境を保持することが大切なのだそうです。 

 雄は1uぐらいの縄張りがあるそうで、そこで雌を待つそうです。 

 マリオ倶楽部でも、2007年・弟63回に伊那市新山のトンボの里に行って、

ハッチョウトンボにも出会ったことがありますが、伊那谷にはまだ生息地が色々残っているのかもしれません。

ギンヤンマの抜け殻。  

   シオカラトンボのヤゴかな、ハッチョウトンボにしてはちょっと大きそうです。

池のメダカは伊那谷産クロメダカだそうです。 

  天龍系の魚は諏訪湖が元だそうで、諏訪湖のメダカは豊田のあたりに残っているそうです。 

  ワカサギは伊那のあたりまでは来ているそうです。 

  メダカは自然だと2年ぐらい、人に飼われるとストレスが減るのか3年ぐらいは生きるそうです。 

  人が来るとよつて来るようにもなるそうです。   

小さいので猫は取れないそうで、水槽でもだいじょうぶだとか。  

 飼うのに良いのは、ハッポウスチロールの箱を土中に埋めて、冬には凍らぬ所が3cmほど有ればよいそうです。 

  ボウフラ等は最高の餌たとか。      ヘラオモダカ・メダカにお似合いだとか。 

コバノヒルムシロ。 

ここには、長野県絶滅危惧類のミズオオバコもあるそうですが、

まだ小さいのか藻のの下で葉も見えませんでした。

開花は8月上旬ごろからとの事なので、見えるようになるのはこれからかもしれません。

スゲの湿原には、ネジバナ・モジズリが花盛り。 

   最後に、会員の方の中には、メダカを飼っておられる方も何人か居られるそうで、

先生から池のカナダ藻をわけて頂きました。 

 お土産もいただき、雨も上がって来たところで、メダカの学校を後にして、

近くにある養命酒の工場を見学に出かけました。   

養命酒駒ヶ根工場:

半地下の素敵な事務棟・エントランス。 

 生薬・マムシ・創業以来の祭神でもあるとか。

養命酒は江戸時代初期に伊那郡大草領・上伊那郡中川村の庄屋・塩沢家で製造が開始されたそうです。 

 大正になって中川村に第一工場・天龍館を作り、

昭和26年には諏訪にもなじみの多かった岡谷市川岸に第二工場が作られたそうです。 

 ここ駒ヶ根工場は中川村・川岸の工場を統合して、昭和47年に新設したものだそうです。 

 その後平成17年には、大正製薬ホールデイングスと業務提携、

養命酒も薬用酒となり、販売ルートも酒販店のルートから薬品の販路へと変わっていったそうです。 

 工場内の遺跡から発掘された土器。    ロビー・生薬の展示。

 ロビーに集まった所で、案内のお嬢さんにみちびかれ映写室へと向かいます。

ホールには、われわれのほかにも数組の見学のお客さんがおられ、

一緒に養命酒の生い立ちから、工場の様子まで紹介していただきました。 

 少しだけ、知識を得た所で、工場見学へと瓶詰工場へ向かいます。

瓶詰工場へは見晴らしの良い渡り廊下を通って行きます。 

 今日は生憎の天気で、中央・南アルプスの姿は見えませんでしたが、

配管・配線も地下に埋設されたすっきりした工場の全景が良くみえました。  

 瓶詰工場も今日は点検日だとかで、稼動はしていませんでしたが機械の近くに

設置されたビデオの映像や機械を見ながら説明をしていただけました。 

 工場の従業印は100名ぐらい、養命酒にかかわる人は10名程度、

ここ瓶詰工場は2名の女性によつて操業されているそうです。 

  瓶は養命酒が弟U種医薬品なので再利用はないそうで、日に4700本ほどの瓶詰がされるそうです。 

  経営陣は変われども、工場は40年ほど前に、先端自動化工場として見学したときの姿で、

今も立派に現役で活躍している姿が見れてちょっと感激でした。

ロビーに戻り、養命酒の試飲をさせていただきました。

  胃腸虚弱・食欲不振・肉体疲労等にきく14種類の生薬の入った滋養強壮の薬酒だそうですが、

飲みずらいという事はありませんが、やはり薬酒の味でした。 

 最近は、13種類のハーブで作ったリキュールのハーブの恵みというのが人気だそうですが、

こちらは記念館で試飲させてもらいましたがスッキリしたリキューの味でした。

養命酒記念館。

第一工場にあった戦前の酒蔵を移築したものだそうです。  

 入り口には、徳川家康ににも認められ、使用が許可された社章の飛龍が迎えてくれます。  

中は、かなり天井の高い梁が見れます。

ハーブの恵み、ドクダミ酒を試飲させていただきました。 

 昼食の時間もせまつて来たようですが、皆さんお土産をさがしておられる間に、

ちょっとだけ養命酒駒ヶ根工場内遺跡めぐりをさせていただきました。 

ここ養命酒の遺跡は、工場建設用地で昭和45年に発見されたものだそうで、

昭和46年に発掘調査が行われたものだそうです。  

その結果、縄文早期・前期・中期の遺物と住居跡、弥生時代早期の遺物、

古墳時代から平安にかけての住居跡等が見つかったそうです。 

  最初の住宅は、縄文中期・4000年前の住宅で、弟三号縄文式住宅を復元したものだそうです。

  茅葺の原始寄棟造りの住居で竪穴の深さは80cm

さらに上った所に、弥生時代後期の住宅。    狐くぼ弟七号住居を復元したものだそうです。

茅葺の原始入母屋造りの建物で、竪穴の深さは70cm

高台には、創業者の塩沢宋閑翁の銅像が。    

   その奥には古墳時代から平安にかけての復元住宅がありましたが、

こちらは時間切れ、バスの中からの見学となりました。  

 工場の中は自然が一杯で、山野草も見れるそうですが、今回はここまで、昼食所へと向かいます。

   
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