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最初に切った春三の御柱の切り株・大きく焼けの入った跡が見られます。 

 樹齢170年ほどの木ですが、150年を過ぎると焼けが入ることが多くなるそうです。  

 木の本体の方は既に片付けられていました。   

この辺りは国有林で、木を切る許可をもらうのもなかなか大変な様です。

そこから少し上がった所に、春宮四の御柱がありました。

近くにはヤマツツジが咲いていました。

   

前回御柱を見学した時は、カセットテープで木遣唄を聞きましたが、

今回は下諏訪木遣保存会の小松会長さんが来てくださり、生の木遣を聞かせていただくことができました。 

 最初は春四・10区・湊の担当の御柱の所で一鳴き。   

下社は、事前に御柱の担当地区が決まっているそうですが、上社のほうは抽選で決められ、

又上社の森には御柱となる木が無く、今回は辰野・横川から切り出すので、作業も費用も大変だとか。

切り株の上に、枝が立てられていました。 

 穂木だそうで、又立派な木に育つ様願って立てられるそうです。

   

春四からさらに少し上った所に、秋三の御柱がありました。  

 下社では、春一・18mから始まり、順に少しづつ短くなつていくのだそうです。

下諏訪町木遣保存会のメンバーは現在82名・内子供15人で構成されているそうです。 

 上社では、最近はラッパが活躍していますが、下社ではまだ木遣が主で、

最近では木遣は下諏訪町の無形文化財にも指定されたそうです。 

  木遣唄は、山の神をお迎え・お送りする神事の木遣・(今は神事とは言えないそうで、神事は上社だけだとか)綱渡りの唄と

曳きだしの合図となる曳行の木遣の2種類の木遣唄を会では保存・伝承しているそうです。 

 綱渡りの唄は、神主が祝詞をあげるのに匹敵するもので、誰が作ったかは不明だそうですが、

"奥山の大木里に下りて神となる"等歌詞が素敵なものが多いそうです。  

 曲は五曲あるそうです。 

 曳行の唄は、"コレハサンノウエー"等高い声で、遠くに届くよう唄われるそうです。

最後に、御柱の前で記念撮影をして、ここで小松会長さんともお別れです。  

 貴重な体験が出来ました、会長さんありがとうございました。   

車山肩:

今回は、霧ケ峰のレンゲツツジの時期に合わせて日程を組んでくださったようですが、

今年のレンゲツツジの開花は例年より12週間早いそうで、もう終わっているのではと心配されましたが、

ニッコウキスゲも咲き出したとの事なので、花見に車山の肩まで行って見ることになりました。 

  ビーナスラインに出てみると山にはまだ、かなりの赤味が残っており、レンゲツツジもまだまだ見ごろの様でした。

今年のレンゲツツジは花付きも良く、咲き始めも月初めからと早かったようですが、

月末近くなつてもまだ十分見ごたえがありました。

ニッコウキスゲはちらほらと咲き出した所ですが、首もかなり伸びてつぼみもかなり膨らんできており、

うまくすれば今年は赤と黄色のコラボした景色が見れるかもしれません。  

しばし花を楽しんでから、午後から下る観音沢の出発地点となる御射山へと移動します。

御射山神社:

沢渡までバスでもどり、そこから御射山へと向かいます。

 この辺りのレンゲツツジもまだ見事に咲いていました。

神社に着いたところでまずは参拝。 

  先生から御射山奥院穂屋祭りとそれにまつわる穂屋野の三光の話をしていただきました。 

 祭礼の日となる旧暦727日には日・月・星が同時に見え

そのときにはイカルが来てツキホシヒとなくのだそうです。 

 星までが、日と同時に見れるとは、古代この日に日食でもあったのかもしれません。 

 御射山神の本地仏は十一面観音だそうですが、

日・観音、月・勢至菩薩、星・虚空蔵菩薩の三公を祭ったそうです。

  現在の御射山祭は827日となつているそうですが、旧暦727日は今年だと99日になるそうです。

平安・鎌倉時代のオリンピック会場だった御射山。 

 向かいの丘には、観覧席・穂屋を作った段がみえます。

神社脇のヌタ場(動物達の風呂場)。 

神社の前にある、ヤマナシの古木、かなり古いものだそうです。 

 実はかなり大きくなるそうです。

ヤマナシの木の根元に板碑が有りました。 

 表書の方はかすれて良くみえませんが、裏には上繻エの文字が見えます。 

 先生が以前神社の近くで見つけたものだそうで、地元・上桑原の人が納めたものだそうです。  

   
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