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中野陣屋ひな市特別展:中野土人形・小古井嘉幸コレクション  

ここ中野では、3/314/1日のひな市に合わせ、3/1日から4/1日まで街の中でも町角土ひな展を行っているそうですが、

ここ陣屋でも特別展が開かれているという事で、見学させていただきました。

  幸いなことに、コレクターでもあり中野土人形研究家の小古井さんもみえておられ、

説明して頂きながらじつくりと土びなを観賞する事ができました。  

今回、展示されているのは、50年にわたる小古井さんのコレクションのうちの750点が展示されているとの事でした。

最初のコーナーは干支のコーナーです。  

 羊の土雛は、五代目奈良久雄の作品で今年の年賀切手のモデルになったものだそうです。

虎が石は、長野冬季オリンピック・パラリンピックにちなんで作られたものだそうです。

縁起物も多いそうで、恵比寿・大黒。 紅白上向だるま。

恵比寿・商売繁盛・五穀豊穣の神、七福神の中では唯一の日本古来の神だそうで、

大黒・農耕の神はインド起源の大黒天で、大国とかかり大国主命だとも言われているとか。 

  招き猫。 福助。

左手を上げた猫は客を呼び、右手は金運・幸運を招くもので、高く上げているのは遠くの客も招くとか。

福助足袋の商標の手を着いた福助は、商標権争いに敗れて後に考案されたものだとか。          

カチューシャ人形。

カチューシャ人形は小古井さんは、中山晋平記念館の館長をされた事もあつたそうで、生誕100年にちなんで、

五代目・奈良久雄氏にたのんで製作したものだとか。 内裏雛・初代 西原巳之作。

 中野土人形には、奈良家・西原家の二つの系統があるそうで、元は桃山時代操業の伏見土人形が発祥だそうですが、

江戸末期に奈良家で京都伏見の人形師を招いて技術を習得し始めたのが最初だそうで、

もう一つは三河の瓦職人が明治30年に伏見人形の技術をもとに始めた三河系の人形作りを、

同じ瓦職人だった西原家が、大正7年に立ヶ花で始めたものだそうです。 

 奈良家の方は、縁起物・風俗物が多く、西原家は歌舞伎物が多いそうです。 

  加藤清正公の人形は、奈良家に招かれた人形師が、中野で作成したものではないかと言われているものだそうです。

世界の馬っこ展:山岸安信コレクシヨン

食事の後に、まだ少しだけ時間があったので、二階で行われている世界の馬っこ展を見てきました。

   このコレクションは中野市在住の山岸さんが、こちらも約50年かけて集められた馬にまつわる道具・民芸品等を

世界30余ケ国にわたって集められたものだそうで、三千数百点にわたるコレクションを中野市に寄贈されたものだそうです。

各国の民芸品。    長野県蹄鉄競技会一位の作品・小池蹄鉄屋・大正時代。

高野辰之記念館:

最後に訪れたのは、飯山インターを降りてすぐの永江にある、高野辰之記念館です。 

   インターを降りるととたんに辺りは雪景色、そんな雪道ちを少し行った所に記念館はありました。 

  記念館では高野館長が我々を迎えて下さいました。 

  さっそく展示室に案内いただき、そこで高野辰之や記念館についての説明をして下さいました。 

   高野辰之は国文学者で、日本歌謡史・江戸文学史・日本演劇史等の著者でもあるそうです。 

  尋常小学校の唱歌教科書編纂委員にもなったそうです。 

 尋常小学校唱歌は各学年で20曲づつ計120曲あるそうですが、著作権もまだあいまいな頃で、

作者も不明な曲が多く、1年・日の丸の旗、2年・紅葉、3年・春が来た、4年・春の小川、

6年・故郷・朧月夜の6曲が高野辰之の作詞によるものと認定されたのは

昭和47年に養女の高野弘子氏が音楽著作権協会に申請それが認められてからだそうです。 

  ここ高野辰之記念館は、高野が学び教鞭を取った永田尋常小学校の講堂跡地に建てられたもので、

平成3年にオープンしたものだそうです。

説明を聞いた後は、音楽室へ移動高野辰之の生涯を映像でふりかえります。 

 高野は学校校歌も100曲以上手がけているそうです。

高野は書家でもあつたさうで、書の展示が多くありました。    帰郷吟・大正十四年。

生憎の雨でしたが、記念館の二階からは故郷に歌われたとされる風景を眺める事が出来ました。

  大平山・熊坂山は兎おいしかの山で、その間を流れるのが斑川で小鮒釣りしかの川だそうです。

  このあたりでは、冬の行事として、兎追いというのが行われていたとか。 

 高野の菩提寺・天正寺、朧月夜に歌われた鐘のある真宝寺そして、火の見の近くに生家があるそうです。 

 今回は、雨のため散策は取りやめとなりました

帰りにバスで、真宝寺によってみました。 

 館長の話では、鐘は戦争から免れたと言っておられた気がしましたが、

鐘の前の案内板には、戦時中に供出され、現在のものは戦後に再鋳造された二代目とありました。

 次回は、直接鐘を見て確認してみようと思います。

帰りのバスの中では、この度武井先生が15冊目となる本を出版されたとか、

題名となつている春寂寥は松本高校の寮歌で、紅萌ゆるは三校の寮歌だそうで、

本の内容を解説してもらつたり、寮歌を聞いたりと賑やかに帰宅する事が出来ました。 

  感謝・感謝。

 
   
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