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金森氏の建てた三重塔は、後に台風により倒壊、現在の塔は江戸末期になって建てられたものだそうです。

三重塔は飛騨で唯一の塔建築だそうで、県指定文化財。

風鐸・よほど荒れた時でないと鳴らないとか。

高山が天領になり、高山城が破却された時に移築されたものだそうです。  

左甚五郎の碑もありました、国分寺は飛騨の匠とも縁の深い寺の様です。

表門・江戸末期・市指定文化財・松田太左衛門作。

表門の外には六地蔵と庚申堂がありました。

  庚申堂の脇には、お守りとして使ったサルボボ(万歳をしている)が下げられていました。 

 庚申堂のサルボボは、欲望が動かない様に庚申さんにくくられた、

青面金剛の使いの猿で、町内から転出した家族の分は庚申堂にあずけられ、

町内住民の災いを代わりに受けてくれるのだそうです。 

 背中に願い事を書いて吊るすと願いがかなうとか。

日下部民芸館:国指定重要文化財  

日下部家は、江戸時代、高山が天領となった時に、代官所の御用商人として栄えた商家で、

役所の御用金を用立てる掛屋を務め、後には両替屋を営み、

大名にも金を貸し年商2万両ぐらいの商いをしていたそうです。

 当時の建物は明治8年の大火で類焼、現在の建物は明治12年に川尻治助によって、

江戸時代の建築様式で造られたものだそうです。 

 (明治建築の民家として、最初に国の重要文化財に指定された建物だとか。)     

  最初に、手摺かわりに紐の下がった、急な階段を上り二階から見学開始です。

二階も、けつこう天井が高く出来ていました。  

 最初の部屋には、いろんな火鉢が展示されていました。 

 なかでも、飛騨春慶の大火鉢が目を引きます。  

 奥の部屋には、花嫁衣装に花嫁道具が展示されていました。

三階まで吹き抜けで、立派な梁と、迫力満点の自在鈎のある「だいどころ」。

神棚のある「なかのおいえ」。 「かずき」 

飛騨の雛祭は、旧暦で43日だそうで、奥の本座敷と仏間には、御雛様が飾られていました。 

 御殿飾りを中心に、歴代の御雛様、それに玩具人形も飾るのが当地での習わしだとか。

  雛段のアサツキは御雛様が御馳走を食べる時の箸だそうです。

隣には、ちょっと珍しい明治雛が展示されていました。

ここで一服。   休憩所でお茶と塩煎餅を御馳走になりました。  そして、第二展示場の文庫蔵へ。

古渋草焼。  

ここには、飛騨の民芸品や陶磁器が展示されていました。 

江戸末期に地元に窯を開いて造られた渋草焼。      

刷毛引五合壺・小鹿田焼。  

渋草焼と同じ様に、天領であつた大分県日田の代官によつて推奨された、

小鹿田焼(おんたやき)の壺がありました。  

小鹿田焼の技法は、弟子を取らず長子相伝で良く保存されており

国の重要無形文化財になっているそうです。  

 

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