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第百四十四回自然と歴史探訪[飛騨高山散策]

国分寺本堂・薬師堂。    鐘楼門・安土桃山時代・市指定文化財。

醫王山飛騨国分寺:高野山真言宗

今回は、マリオ倶楽部が始まって丁度10年になるそうです。   

  そんな節目の月に、横山先生のホームグランドでもある高山を訪ねて、飛騨の春を見つけようと企画された様です。  

  マリオ倶楽部でも高山へは、34(200511)64(20077)と冬と夏の高山は訪れていますが、

春に訪れるのはこれが最初です。 

   昨夜の強風はおさまりましたが、まだ雲の多い中の出発です。  

 塩嶺峠を越えると、あたりは薄らとした雪景色、高山への道中がちょっと心配です。  

  安房トンネル入口までは、昨日に雪の降った跡もなく、車も順調に進みました。  

  トンネルを抜けて岐阜県に入ると、そこは一転雪景色、新雪で周りの木々も美しく装っていました。  

  それでもやはり春の雪、道路は凍る事も無く、予定された時間には、無事に高山へ到着出来ました。  

  今回最初の訪問先は、飛騨国分寺です。  

 前回訪れた時は、表門へと横付でしたが、今回はうつかりと通り過ぎ、

市役所前をぐるりと回って行くと、うまい具合に国分寺の駐車場に到着です。  

 まずは、国分寺の盛衰をずっと見守って来た、大銀杏にご挨拶です。

芽吹き前の大銀杏は、樹齢1250年とも言われ、飛騨国分寺開基となつた行基上人の御手植えだとか、

別に民話では、娘を弔った国分寺の塔の建築にあたった大工の棟梁が植えたとか言われている様ですが、

何れにせよ幾度かの火災にも耐えてずっと国分寺を見守って来た木であることには間違いの無い様です。

  木は雄の銀杏だそうですが、幾本もの乳根が垂れ、木には子育地蔵も祀られていました。 

 乳根は地上に達すると根となるそうです。  

 こんな、大樹も昨年末には、北側の木の枝の分かれた所が腐食して治療を行い、

只今養生中だとか、春には元気に若葉を付ける事を願っております。 

 大銀杏は国指定の天然記念物だそうです。

本堂は、昭和29年に解体修理が行われ、屋根も銅版葺になっており、丹塗で、

扁額も新しく、ちょっと見ただけでは、古い物には見えない建物です。

国分寺は奈良時代に45代・聖武天皇の命により東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺して、

各国に造られた寺で、国分寺には七重塔を建て、金光明四天王護国の寺とし、

国分尼寺は法華滅罪の寺としたものだそうです。 

 飛騨の国分尼寺は高山本線を挟んだ向かい側・辻ケ森三社のあたりにあったそうです。 

 この頃は、都造りも盛んで、ここ飛騨からは税金を免除する代わりに、

里ごとに匠を集団で都に集め造都を行ったそうです。 

 そんな国分寺も、武士の台頭で律令制度も薄れ、官の財政支援が無くなりすたれ、

元は法相宗であった寺も他宗に変わったりして、存続がはかられたそうです。 

  安土桃山になって、秀吉の命をうけ、戦国時代に高山に進出した三木氏を撃つべく、

越前の金森長近が松蔵城を攻めた時の戦火によって、国分寺のあたりも焼失してしまったそうです。  

 後に、金森氏は国主として高山城を築城、町も京に似せて道も整備し町造りを行ったそうです。 

  国分寺も、金森氏が金堂跡に川上郷から室町時代の本堂を移築改修し、

七重塔跡には、三重塔を建てたそうです。 

  本堂には、国分寺本尊の薬師如来座像、国分尼寺の本尊の聖観音菩薩像が祀られているそうです。  

 本堂の建物と同じく、国の重要文化財に指定されているそうです。

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