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中山道:柿沢村茶屋本陣  

塩尻峠には人家が無く、参勤交代の大名等旅人が難渋したので、

今井とここ柿沢に小休所として茶屋本陣が造られたそうです。 

 築200年以上の本棟造りの家だそうですが、今も住居として使われているので、

屋根や外壁がすっかり新しくなり、ちょっと見ただけでは本陣と気付かずに通り過ぎそうです。

脇に立派な門と、昔から水場としても使われたのかと思われる池がありました。 

 先生によると、このあたりにはシュレーゲルアオガエルもいるとか。

   

茶屋本陣からは、人の踏み跡だけとなり一列になって峠へと向かいます。 

 上り口には、街道で一番大きいのではないかとされる馬頭観音碑が有りました。 

やがて、浅間神社のある峠に到着。 

 ここからは、野鳥の話をしていただけると言う事で塩嶺閣をめざします。

塩嶺閣への道は、ついに踏み跡の無い道を行く事になりました。

御野立公園の池のあたりまで来ると、踏み跡が出来ていました。

岡谷市塩嶺閣:

塩嶺閣では、今日お話しをしていただける林さんと、熊君が我々を迎えて下さいました。

ここ塩嶺閣は、以前は雇用促進事業団の福利施設だったそうですが、岡谷市に払下げられ、

今では小鳥の森としての森づくりの拠点として利用されているそうで、

本日の講師の林さんは、日本野鳥の会の諏訪支部長で、

小鳥の森のコーディネーターをやつて居られるそうです。  

歩いている時は、小鳥には出会いませんでしたが、窓の外の餌場には色んな野鳥がやって来ていました。

   観察用に餌場を作っておられるそうで、雪が降って餌が取れない様になってくると良く集まって来るそうです。

   カラの付く鳥は、コガラ・シジュウカラ・ヒガラ・ヤマガラ・ゴジュウカラとあるが、

ヒガラは来ないが他はやってくるそうです。 

  その他には、カシラダカ・ミヤマホオジロもやって来るそうです。

ヤマガラ。ゴジュウカラは木の下に向かって降りる事が出来るそうです。  

 よくばりで、餌も一度に幾粒も運ぼうとするそうです。  

 餌場には、代わり番こに鳥がやって、見ていてあきません。 

私には、カシラダカとミヤマホオジロの区別はよくつきませんが、

餌場には来ませんでしたが、近くの木にはやつてきていました。

諏訪湖には、昔からオオワシがやつて来たそうで、林さんの手元には90年前の剥製があり、

30年前に諏訪湖で死骸を発見して剥製にしたものが、諏訪湖博物館に展示されているそうです。

  今、毎年諏訪湖にやって来る大鷲・グルは1996年に幼鳥として諏訪湖にやつて来たそうで、

1999年に諏訪湖に浮かんでいるのを林さんが、50日間昔の家の土間で保護し、

回復を待って自然に帰した鳥だそうです。 

 野鳥として、自然に帰す為にされてきた、飼育の苦労話もうかがいました。  

 グルという名は、イーグルのグルではなく、諏訪湖から拾い上げ、

車に乗せた時にグルと鳴いたので、グルにしたのだそうです。 

 オオワシはロシアの極東で子育てをし、冬になると日本にもやつてくるのだそうですが

、寿命がどのくらい有るのかはさだかでは無いそうです。 

 北海道では、数が多すぎて個体の確認が出来ないが、

グルは個体の確認もしつかり出来るので、年齢も数えられるとの事でした。 

  放鳥してから13シーズン連続で諏訪湖にやって来ているので、前の4年と合わせると年は18歳にはなるそうです。 

  丸山動物園では、52歳の記録があるそうです。

鳥の羽で作った標本で、自然の造形の不思議を説明して下さいました。 

 これは、フクロウの仲間でトラフヅクの羽の標本だそうです。 

 夜活動する鳥の羽は、柔らかく音がしない様に出来ているそうです。  

又部位ごとに羽の形も変化して、そこの機能に応じた形状になつているのだそうです。

これは、コダイマキエインコの羽だそうで、

羽に色があるのではなく光のあたり具合で色々に発色する構造色というものだそうです。 

 光の有る所では見事に発色しました。  カワセミの色も構造色だとか。

林さん、制作のグルの模型。  

羽を広げた大きさは220cm、捕獲した時の体重は5.8kg、放鳥した時は6.4kgだつたそうです。 

 グルの特徴は左の翼が一個所切れているのと、首に白い斑点がある、

そして捕獲時に付けられた足輪のNoだそうです。 

  民宿アヒルの前や、立石公園には、グルフアンの人達が大勢観察に待ちかまえているそうで、

個体でこれだけフアンの多い鳥も珍しいそうです。

館内には、他にも色んな剥製が展示されていました。  

 これらの剥製は、以前国道からの入口に、県の鳥獣保護普及センターが有った時に、

そこに展示されていたものだそうですが、建物の老朽化で取り壊しになつた時に

林さんが選定して、ここに移したものだそうです。 

 ここ、塩嶺閣も、私のイメージではまだ保養施設としてのものしか残っていませんが、

早くネーチャーセンターとしての位置付けが固まれば良いのにと思いつつ館を後にしました。

 

ちょっといっぷく:マリオ

最後は、マリオさんに戻り2013年の新年会を行いました。   

 まずは、素晴らしい好天と、盛り沢山の内容の旅で、

今年のマリオ倶楽部もスタート出来た事に感謝して乾杯。 

  マリオさんで既に用意して下さっていた、つきたてのお餅を、

雪中行軍で適当に空いたお腹にたっぷりとほおり込みました。

しばし談笑の後、先生に今年の引き続きのご指導をお願いして、新年会もお開きとなりました。

感謝!! 感謝!!

   
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