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御堂の本尊は十一面観音菩薩。 

 聖武天皇と同時代ということでか行基菩薩の作とも言われている様ですが、

実際は平安後期の欅の一本造りの仏像だそうで、国指定の重要文化財だそうです。 

 脇侍には地蔵菩薩と聖観音菩薩(何れも市指定有形文化財)と四天王。  

 一般には、417日の春季例大祭に御開帳されるそうです。

境内釈迦堂には、素敵なお釈迦様・木造釈迦如来座像・市指定有形文化財。

新しくなつた本堂も見せていただきました。
  
 本尊は真言宗という事でか、大日如来、そのほか十一面観音・不動明王等が置かれていました。 
 
  知識寺で現存する古い建物は何れも室町時代のもので、寺紋等であまり表に出て来ませんが、

室町時代の当地の領主・村上氏の庇護が大きかったものと思われます。
  

ちょっといっぷく:蕎麦處 萱

今日のお昼は、戸倉で江戸時代から地主と酒造業をやっている、

清酒・雲山蔵元の坂井銘醸さんがやっておられる、蕎麦處でいただく事になりました。 

 お店は母屋を利用したものだそうで、江戸時代の民家造りの建物として国指定の有形文化財に登録されている建物だそうです。

酒屋さんと言う事で、濁り酒・原酒・吟醸酒の利き酒をしてからお蕎麦を頂ます。 

 カラミ蕎麦は大分カラミがきいていた様で、食後にいただいた蕎麦プリンでも間に合わず、

胃に来た人も居られた様でした。  

食事の後は、最後の訪問先の水上布奈山神社も近くだという事で、時間をみながら歩いていく事になりました。 

向かいの山に大天狗が、千曲天狗だそうです。

布奈山神社の隣の宋安寺山門に有った徳本・念仏碑。 

水上布奈山神社:  
ここも無人の神社だということで、管理して居られる地区の世話人の方にお願いして見せていただく事になりました。

赤い鳥居が建っていたので、神社とはわかりましたが、お目当ての本殿は鞘堂にすっぽりと収まり、

前に立った御柱が無ければ、普通の民家かと思われるたたずまいでした。 

 神社ではすでに総代さんが来ておられ我々を迎えて下さいました。

ここ、水上布奈山神社は、江戸初期に北国街道の整備で下戸倉宿が置かれたのを機に、

諏訪大社から祭神を勧請して創建されたものだそうです。 

 江戸末期には水上布奈山神社と改称されましたが、当初は諏訪神社と呼ばれていたそうです。

  神紋は一本梶。  御柱は人数も少なく二本だけだそうですが、諏訪大社に合わせて行われるそうです。 

 冠落としもされた、諏訪と似た立派な柱が建っていました。 

 門をくぐって奥の鞘堂へと案内して頂ました。  向かいの縁にこしを下し、説明の放送を聞きながら見学します。

正面扉脇に寒山()・拾得()

 右壁面・獅子と波に亀(亀は甲羅に緑の毛の着いた蓑亀だそうです)

神社は、一間社流造としては圧倒的な大きさと、その細工の見事さにまず驚かされます。 

  神社は江戸末期に大隅流・柴宮長左衛門矩重の円熟期の作だそうで、国指定重要文化財に登録されているそうです。

 また、作風は塩尻にある北熊井諏訪神社と似ているそうです。   

正面梁の上には松に鶴、その上に朱雀、片足は折れていましたが指は四本。
 

左右の海老虹梁の上り龍と下り龍、先生はその細さに感心して居られましたが、

途中すでに裂け目が出来ており、鉄の楔が打たれていました。

   
障子の竹林の七賢人とその上の昇り龍、下り龍。

丹念な造りの床下。        木鼻の鶏は、大隅流特有のものだとか。

神社は戸倉小学校の向かいにあり、昔は子供の遊び場でもあったそうです。

飯盛女の献灯篭()・左は旅籠屋主人の献灯篭。  全国でも珍しいものだそうで,市有形文化財だそうです。

姨捨の棚田の緑にはちょっと早かったようですが、立川・大隅二大流派の素晴らしい作品、

そして重要文化財になっているお堂・仏像等多くの作品を十二分に堪能出来た一日でした。 

 最後はマリオさんに戻って、会員の皆さんの五月人形の作品を見て、今回の旅を終えました。

 

   
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