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 珍しい明治の定め書・英文付。   ガス塔といいちょっとハイカラ。

境内の鳥居の中が内境内。  正面・勅使殿・拝殿・本殿。   拝殿は神楽殿にもなって居るようです。

境内には摂末社が多数ありますが、造りの凝った社もあります。  

額殿の中に古い鬼瓦が展示されていました。  旧本殿のものでしょうか。 

 旧本殿が瓦だったとすると、この額殿も瓦なのを見ると、額殿は旧本殿当時のものでしょうか。 

 いたんでいるがかなり古そう。

本殿。  かなり天井の高い建物です。  

本殿は江戸末期に立川和四郎二代・富昌の円熟期の作だそうで、

重厚な造りに素晴らしい彫刻が多数施されたものでした。 

 先生の後ろの算盤玉は、百個並んでいる所を見るとお百度石の代わりでしょうか。

   

建物の正面の彫刻もすばらしいが、側面の彫刻は圧巻です。   屋根を支える力神。 

  鳩の糞害がひどい様で、鳩除けの針の山がちょっと気にかかります。  

 ここ武水別神社は、第一回の川中島合戦の折には武田信玄の本陣にもなつた所だそうです。

   

脇障子には鳳凰。

本殿は素晴らしいものでしたが、何故か文化財の指定は無い様で、鳩の糞害対策も十分では無い様でした。

  屋根は当初は杮葺で、現在の様な千木も鰹木もなかったそうで、

銅葺になり形も当初のものからかなり変わってしまった為に文化財指定にならなかったのかもしれません。

   本殿脇の御供所は新しいものでした。 

 3年ほど前に焼失し復元したものだそうです。  本殿への類焼が無くてなによりでした。

姨捨山放光院長楽寺:天台宗  
 
   
姨石と観音堂。

長楽寺本堂と観月殿・江戸時代のものだとか。

武水別神社のうずらやさんで貰った地図をたよりに無事に姨捨に到着です。   

最初に姨石に上り棚田を眺めます。

観音堂には本尊の聖観世音菩薩が祀られているそうです。

境内は句碑・歌碑が一杯。      
 
   
月見堂。

姨捨十三景の一つ桂の木・市指定天然記念物。   芭蕉翁面影塚。     

芭蕉は元禄元年・更科紀行の途中にこの地にたちよったそうで、

「おもかげや姨ひとりなく月の夜」という句を残したそうです。  

芭蕉塚は陸前松崎・常陸鹿島と合わせ日本三塚の一つだそうです。

次の知識寺さん見学の時間も押して来たので、急いで棚田の見学です。  

田植えにはまだ早かったようで水のはられた田もまだ一部でした。

長楽寺さんからは、棚田は見えませんでしたが、棚田からの長楽寺の眺めは最高でした。

  長楽寺については、一時無住になった事もあり、

廃仏希釈の折に寺の資料も無くなり詳しい事は分からないとの事でした。

清源山花蔵院知識寺:真言宗智山派
知識寺の仁王門。  室町時代のものだそうで、市指定有形文化財になっているそうです。

木造金剛力士立像・市指定有形文化財。   

 源頼朝が上山田村に七堂伽藍を建てたおりに仁王像を寄進したとあるそうですが、

この仁王像は室町時代のものだそうです。

大御堂・桁行四間梁間三間の寄棟造の禅宗様の建物で、室町時代のもので国指定の重要文化財だそうです。 

 正面が寄棟になっていますが、素敵なたたずまいの建物です。 

 知識寺は祈願所であった為、檀家は無く現在は無住の寺になっているそうですが、

今回は仏様も見せていただこうという事で、

鍵を管理して居られる地元・若の湯さんにお願いして中を見せていただく事になりました。

  寺は、全国に信者の方も多く直参講が盛んだったそうで、今は講の方と地元温泉主が主になって維持しているそうです。

逗子。

知識寺は奈良時代に聖武天皇の勅願所として冠着山の東麓に大御堂を建てたのが始まりだそうで、

現在の地へは源頼朝の祈願所として移動、その後も地元真田家の祈願所なったそうで、

寺紋には源氏の笹竜胆と真田家の六文銭が並んでいました。

 堂内は外陣に1間、内陣3間取られており、一部の柱は鎌倉時代のものが使われているそうです。 

内陣と外陣の間は格子戸で区切られていました。 

天井絵。   下が畳でもあり鳴き龍にはならないそうです。

先生のお経に合わせて、仏様に拝観のお礼をしました。  

最近人気の大黒様。

 
   
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