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阿弥陀堂

まず先生のお経に合わせて、皆でお参りします。   

 阿弥陀堂もそうとう古いものの様です。 

 これも、武田信玄の焼き打ちに遭わずに焼失をまぬがれたものでしょうか。

  屋根には白色十六弁菊型の皇室の御紋章が付いていました。

阿弥陀堂。   入口の天井には凡字板がはられていました。

   

本尊の無量寿如来(阿弥陀如来)。   室町時代の仏師・春日氏の作だそうです。

  寄木造りの木造仏でかなり大きなものでした。

道祖神に送られて、文永寺を後にします。 

  途中、知久氏の居城がある神之峰が見えました。 今はNHKの中継局があるそうです。 

   南北朝時代は南朝の宗良親王に見方し、室町時代には松尾小笠原氏の傘下となり、

戦国時代になって武田氏と神之峰城での戦いに敗れ、一族ほとんどが絶えたそうですが、

徳川家康に仕えた、知久則直が阿島藩の初代藩主となつたそうです。 

  そのせいで、知久氏の菩提寺は、阿島にある安養寺になっているそうです。

阿島の大藤:
   

入園料を払って、園内に入ります。  

 ここらは、開善寺の辺りと比べてだいぶ気温も低いのか、藤の花はまだ咲き始め、

呼びものの2mの房の花を楽しむというわけにはいきませんでした。 

 それと雨のせいか、園内の客も少なく、花の下で花見の宴を開く客もありませんでした。 

 ここ藤園は、昭和の初めに阿島の商工店主らが、

観光名所を作って活性化をと7本の藤を植えたのが始まりだそうで、

今は20本以上、古木は350年以上前のものもあるそうです。

今日のお昼は、第104回まマリオ倶楽部で、

元善光寺を訪れた時によった座光寺にある松の本店さんでいただく事になりました。 

  懐かしい、下足箱に靴を預けて部屋に上がります。 

   昼食は松の御膳。  

 まずは、雨にもほとんど合わずに午前の部の訪問が無事に終了した事を祝って乾杯。

飯田はお菓子屋さんの多い町。   カリント饅頭を求めて、途中ハトヤさんに寄りました。

池康山泉龍院:曹洞宗  
   

最後は、以前元善光寺によった帰りに立ち寄った泉龍院を訪れました。  

 雨で水かさも増した天龍川を渡り泉龍寺へと向かいます。 

  前回は3月で梅の季節でしたが、今回は藤見です。  

本堂前の古い梅の木の前で、梅の木苔の解説をしていただきます。

泉龍院は、室町中期に知久為行、敏範親子によって創建されたそうです。 

 本堂屋根に輝く寺紋は知久氏の家紋の御所車。  

  知久氏は元は諏訪氏の出で、家紋は梶の葉だったそうですが、

宗良親王の子・尹良親王の生母は知久氏の女であつたという様な事で、家紋を御所車に変えたのだそうです。

  ここも武田氏の兵火で焼失してしまつたそうで、本堂・山門は江戸時代のものだそうです。

山門は、江戸末期にに造られた二層楼の山門で、村指定文化財になつているそうです。

  看板には、作者は初代・立川和四郎冨棟の弟子・小松松四郎の作となっているが、

先生によると同じ冨棟の弟子の藤森廣八の方が有力ではないかとの事でした。 

  歴史の解明はまだまだ今後の事となる様です。 

 山門の獅子は、階段を上る人を見降ろしているというスタイルは珍しいものだそうです。

立川流の象の特徴は喉に筋が6本ある事だそうです。

横を向いているのは、猪だろうか。  龍とはちょっと顔つきが違うようです。

柱の下のこの形は、禅宗様のお寺の特徴だそうで、雨のしずくが掛からない様に工夫したものだそうです。、  

昔の人は、風鐸が鳴ったら逃げろと言ったぐらいで、風鐸は多少の風では鳴らないそうです。

ここの藤も見事ですが、まだちょっと早い様でした。、

最後に裏に回って、雨に濡れて新緑が一段と映えるお庭を見せていただきました。 

今日は一日、何時降り出してもおかしくない様な天気でしたが、

見学中はあまり傘のお世話になる事もなく過ごせました。  

 先生の発案と会員の方と御住職の連携の案内で、

簡単にはたどり着けそうもない古き良きお寺も見学出来たし、

お目当ての藤の花も十分に堪能した旅となりました。 

  最後は、あい菜果さんでお目当てのタケノコも仕入れて無事に今回の旅を終えました。、  

 

   
 
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