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二十九番は馬頭観音でした。

 

塩の道であったこのあたりは雪も深く、15尺ぐらい積もる事もあったそうで、

生き倒れになる旅人も多かったそうで、江戸時代の後期になって庄屋の文五郎さんが、

拝んでいけば何とか峠が越えられる様にと、観音様を造ったそうです。   

先生の解説を聞きながら先へ進みます。

馬頭観世音は、三十三観音の中に必ず一つだけ含まれているそうです。

十七番観音。        前回はここからのスタートでした。 

前回は生憎の雨でしたが、今回は観音様の御利益で、薄日も差してきました。

観音様は、ここ白馬村の青石を使って造られたそうで、三十三体を一度に造ったものだそうで、

荒どころは村人も加工したのでしょうが、彫像は伊那片倉村の高遠石工・伊藤堅吉

らを招いて造ったものだそうです。

こちらは木にかこまれて傷みも少なくきれいな観音様。 

 それにしても、観音様が苔むしていないのは、村の皆さんの手入れのおかげでしょうか。  

鬼石。

二番観音の近くに、鬼石がありました。 

 鬼が投げようとしたが重くて動かなかったそうです。  

岩のきずは、爪痕だとか。    西行法師の腰掛の石とも言われているそうです。

雨にも合わず、一番観音まで到着です。                    

横山先生自然観察教室:

マタタビ。

峠はまた植物宝庫、先生にいろいろ名前を教わりながら下ります。

クジャクシダ。  シシガシラの花(胞子葉)。  ナンテンハギ。

あちこち、植物を探しているうちに、大糸線の雪避トンネルを過ぎると、峠の下の佐野坂スキー場に到着です。

買い物に出かけたバスを待つ間に、第一駐車場となりにある、

神社を訪ねてびっくり(神社の名前は分かりませんでした)。   

 工事の都合かなにかで集められたのか、ここにも三十三観音が並んでいました。

ちょっといっぷく:姫川源流

日の昼食は、姫川の源流でマリオさんで用意して下さったおにぎりをいただきました。 

 食後は、源流で冷やした西瓜をガブリ。

姫川は、フォッサマグナの西縁の糸魚川静岡構造線にそって、日本海にそそぐ全長58Kmの急流だそうです。

  姫川はかって沼河と呼ばれた事もあるそうで、糸魚川の豪族の娘で、大国主命が求婚した、

建御名方命の母・沼河比売(奴奈川姫) にちなんだ名前だそうです。  

 姫川では、ユーラシアプレートの飛騨外縁帯をなす蛇紋岩の構造岩塊・ヒスイの産地

でもあり縄文から奈良時代の大珠、勾玉の産地でもあったそうです。

  後に謙信が信玄に塩を送ってからは、糸魚川にも6軒の信州問屋が出来て、

松本藩領内の塩と肴の運搬道・塩の道もこの姫川ぞいに通っているそうです。 

姫川源流・親海湿原の生き物達:
 

ドンビキ(ヒキガエル)源流の湧水近くでさっそく先生がみつけました。 

また水の中では、カワニナとドジョウ。

クスサン・会員の方のザックに付いていました。 
前回も見つけた、オトシブミ。

流れのかなり小さくなった所がありました。

ここらが源流かな。   この覆流水は、青木湖のものではないかとも言われているそうです。
 
   
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