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本尊の釈迦三尊。 (向かって左・普賢菩薩、右・文殊菩薩)  

  左の間には、大きな謙信公の坐像も見えました。

本堂左手に墓所への石段があります。  

墓所には、カタクリ、ショウジョウバカマ等も咲いており、

趣きのある石段と同様に昔からここで墓所を守って来た様子がしのばれます。 

 林泉寺は、上杉家が福島、米沢へと移ったのに伴い、米沢にも造られたそうですが、ここにも残り、

その後も堀・松平氏等の歴代の上越支配者の菩提寺として続いてきたのだそうです。

 
謙信公の墓。

手前の小さい方が古くからの墓、奥は大正
6年に建てられたものだそうです。

川中島の合戦とされる戦は5回あるそうで、

川中島での戦いは第2回と4回の合戦だけだそうですが、戦死者の多かったのは第4回の合戦の時だそうです。

最後に宝物館を見学しました。  案内の方の名調子を聞きながらの見学です。

 ここには、本物の謙信公直筆の額が展示されていました。 

 左手には、謙信の父長尾為景が朝廷から下賜された天賜の御旗がありました。 

 謙信公の旗印は毘沙門天から取った毘の一字旗(刀八毘沙門)

総攻撃の時の龍(懸かり乱れ龍)の軍旗があったそうです。

十六羅漢像。  これは、山門にあったものだそうですが、大火からの焼失を免れた物だそうです。

 

高田公園:高田城址

本日最後は、高田公園での花見となりました。  

上越市の市の木は桜だそうで、ここ高田公園には、4000本の桜があるそうです。

まずは、おだんごを調達してからの出発です。    

 平日でも、かなりの花見客で賑わっています。

極楽橋を渡って、城内へと入ります。   

ちょっと行くと本丸跡の碑がありましたが、ここらは番所のあたりでしょうか。

内堀の噴水。         時間も丁度昼時、見晴らしの良い所でさっそくおだんごをご馳走になります。

噴水の水が心地よく感じられる陽気でした。  

   
小林古径邸:市指定文化財
   

大質曲輪跡のあたりに、上越市出身の明治から昭和にかけての日本画家・小林古径の邸宅がありました。 

 学芸員さんに案内いただき、しばし邸内を見学しました。

2階は女性的な繊細な造りになっているそうです。

庭を通って別館のアトリエに向かいます。

アトリエ(農家を改築したものだそうです)。  

 アトリエとして使った部屋も広々とした部屋でした。

小林古径邸は、やはり同時期の建築家・吉田五十八が古径の要望で東京・馬込に建築したものだそうで、

市では本宅の解体部材を購入し、平成10年に庭園・アトリエも含めてここに復元したものだそうです。 

吉田五十八は、数奇屋建築の近代化をはかった建築家だそうで、

多くの芸術家や文学者の住宅を手がけているそうです。

 

高田城址:  

本城堀(内堀)の桜。

高田城は、江戸になって家康の六男・松平忠輝の居城として、伊達政宗が普請総裁となり、

天下普請として約4ケ月で造ったものだそうです。  

平城だが、石垣・天守閣が無いそうで、かわりに三重櫓(当初は二重だった。)が有ったのだそうです。

  忠輝は、築城後2年で改易になつたそうです。  

上越には、もう一つ上杉氏が福島に移った後の領主となった

堀氏(豊臣家臣)の城・福島城が、直江津港近くにあるそうです。 

城のシンボルだった三重櫓。  明治の火災で焼失し、平成5年に復元されたそうです。

広い外堀(西堀)。  石垣はないが、外堀は自然の河川が使われ、広く取られていたそうです。

駐車場近く・南堀の桜。   高田城は明治以降は、陸軍の駐屯地として使われ、

昔の面影はあまり残っていないそうです。 

ちょっと遅くなりましたが、今日のお昼は道の駅あらいにある、

横山先生お薦めの回転すし・きときと亭で海の幸をいただくことになりました。  

 上信越道の新井パーキングに車を止めると、そこから徒歩で道の駅に入る事が出来ます。  

 皆さん、お好みのお寿司でちょっと空いたお腹をみたします。

エネルギーを補充したところで皆さん、お目当ての所でお土産の調達です。 

  野菜に、笹だんご、等ありますが、本日の人気は日本海鮮魚センターの魚の買出しです。  

  天気は最後まで、上天気、お腹も満腹、お土産もお目当てのものが見つかった様で、

両手に一杯のお土産を下げての帰宅となりました。

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