2/3

絹本着色毘沙門天図(上杉神社)と滝寺毘沙門天像(滝寺町内会)、いずれも市指定文化財だそうです。

謙信公直筆の「第一義」額。  これは、レプリカだとか、本物は林泉寺にあるそうです。 

 第一義とは、釈迦の悟りで、あらゆる物事の真理を表すものだそうです。

紀州本川中島合戦図・川中島の合戦と呼ばれるのは、5回の合戦があるそうですが、

この図は第3回の上の原の合戦の絵図だそうです。 

 新しいもので、NHK大河ドラマの撮影に使われた、春日山城の龍の壁画も展示されていました。 

 こちらが本職。 上越市は埋蔵文化の保護にも力を入れておられる様で、施設もよくととのっている様でした。

 

 
春日山城址。
春日山林泉寺:曹洞宗  
   

次に訪れたのは、謙信(景虎)7歳から14歳までの間学んだという、林泉寺です。

林泉寺は室町時代に、越後守護代の長尾能景が父重景公の十七回忌にあたり、

長尾氏の菩提寺として、上州双林寺の曇英恵応禅師を招いて開創した寺だそうで。 

  寺号は重景公の法名からとったものだそうです。   

最初に目にとまったのは、惣門です。  

春日山城の搦め手()門を謙信が移築したものだそうで、室町時代のものだそうです。 

  昭和4年に強風により倒壊し再建されたものだそうです。 

 春日山城は、南北朝時代に越後の守護であった上杉氏が築城したものだそうで、

後に守護代の長尾為景が、上杉定実を擁立して、

定実を府中に入れ、長尾氏が城主となったものだそうです。  

 春日山城は山城としての名城で、景勝までの四代の居城となったそうです。

山門。  上杉謙信公の建立だそうですが、江戸末に地震で焼失、大正時代に再建されたそうです。

山門の山額。  第一義と同じく、謙信公の直筆だとか、但し本物は宝物殿の中。 

 山号は謙信が、北条氏に追われた上杉氏より、家督と関東管領職を譲り受けたさいに、

上杉家の氏神である、奈良の春日明神を勧請し、春日山としたのだそうです。 

 林泉寺はそれから上杉家(藤原氏)の菩提寺にもなつたのだそうです。 

本堂。

仁王像は随分と古そうに見えますが、昭和
9年に直江津の彫刻家・滝川美堂の作だそうです。

 ちょつと優しそうな顔の仁王様でした。

本堂は平成9年に再建されたそうです。 

 
  目次へ・・・次ページ・・・・戻る