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素敵なたたずまいの本堂ですが、近々改修工事の為取り壊されるとか、ちょっと勿体無い感じもします。

境内の文殊稲荷社、脇の枝垂桜が見事です。

高木津島神社:

 

次に向かったのは津島神社です。   狭い甲州街道を下諏訪の法へ戻ります。

津島神社は、江戸時代初期に天王信仰の流れをくむ、愛知県津島市の津島神社の分社したもので、

村の産土神として創建されたものだそうです。

 奥の本殿は、鞘堂の中にありました。 

 明治41年の村社統合で、山の神、秋葉様、天狗社も合わせ祀られているのだそうです。

祭神の素盞鳴尊は、牛頭天王とも呼ばれ、仏教では薬師如来とされる神で、

以前境内には、拝殿、神楽殿、薬師堂があったそうですが、薬師堂は大正になって他へ移築されたそうです。

舞屋(神楽殿)

楢柏、450年の大木・諏訪一番の木。

神社脇の山には、三山大神社がありました。

 神社とあるのをみると、この地にも出羽三山信仰があったのでしょうか。

柿蔭山房:島木赤彦住居

神社を出ると、鎌倉街道の標識がありました。 

 この近くに、歌人・島木赤彦の住居があるということで見学することになりました。  

 柿蔭山房への道は新しく、綺麗に整備されていました。

樹齢300年の赤松。 町指定文化財になっているそうです。

柿蔭山房は、アララギ派の明治の歌人・島木赤彦の住居だそうで、

赤彦が柿が好きでこのように名前をつけたのだそうです。 

 赤彦は茅野の高島藩士塚原家の四男・俊彦として生まれたそうですが、

同じ高島藩士の久保田家の養子となりこの地・高木に住んだのだそうです。 

 最初は長女のうたさんと結婚したそうですが、

なくなり義妹のふじの(歌人・不二子)と結婚したのだそうです。 

 建物は武家屋敷の造りで、町の文化財に指定されているそうです。

上座敷・最初は赤彦の書斎として使われていたそうです。

山房の御主人が裏にちょうど居られた様で、建物の中を案内していただきました。 

 
 
 
   
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