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        仏伝 左から、誕生、青年期、出城、降魔成道、梵天勧請と初転法輪、                       

   

チベット仏画。   右は、グリーンターラ。  ホワイトターラもあるそうです。

絵具は岩絵具だそうで、黄色は砒素を使うそうです。

砂曼荼羅・時輪曼荼羅。

砂曼荼羅はチベットの砂に着色して作るそうで、僧が修行の為に作り、完成した所で壊してしまうそうです。

この曼荼羅は、カーラ(時間)チャクラ(存在)・マンダラと言われ、

空から創造された宇宙の縮図を現しているのだそうです。  

 これは、東京サンシャインシテイ古代オリエント博物館で開かれた大曼荼羅展に出展されたものを

固めて奉納されたものだそうです。   仏足跡。

パリ200年祭のグランプリ受賞者の4名のチベット僧が、来日され80Kgの砂で作られているそうです。  

  図柄は経典で決まっているので、それに従って描くのだそうです。

住職は最初は東京芸大の頃は油絵を勉強されたそうですが、後にインドに6年ほどチベット仏画の

修行に行って来られたそうで、作品(仏伝図、六道輪廻図、八大菩薩図)の製作には10年かかったそうです。

教化と入滅涅槃の釈迦の生涯を六つの場面で描いたものです。   

釈迦を中央にして、その時々の逸話が周りに描かれています。 

字ばかりの曼荼羅もありました。 種字曼荼羅と言うそうです。

曼荼羅の展示されていた所は、新しく出来た鉄筋2階建ての信徒会館・光明閣です。

境内散策:山門  

 

境内を横山先生の案内で見学します。  

山門は、このお寺の中では唯一立川流の建築だそうで、立川和四郎富昌の作だそうです。  

扁額は幕末の勤王僧・道雅僧正のものだそうです。

本堂  

照光寺は、平安時代にはこのあたりに有ったのではと思われるそうですが、はっきりしない様です。

  南北朝時代には、京都・大覚寺の末寺、室町時代には紀州高野山金剛峰寺の末寺となって、

成田公園東側一体に十二坊を持っていたこともあるそうです。  

このあたりは、鎌倉時代から下社領に入り、諏訪下社秋宮別当神宮寺の末寺でもあったそうです。  

  秋宮神宮寺の末寺にもかかわらず、何故かこのお寺の寺紋は、4本足の諏訪梶です。 

 これは、このお寺が高島藩と深い関係があったからでしょうか。 

 現在は、京都智積院の末寺で、寺格は常法談林所だそうです。

本堂と庫裏は、寛政四年に大隈流・伊藤長左衛門によって建てられたものだそうです。

  後に本堂は、小学校としても使われた事があったそうで、ガラスの戸はその頃のなごりでしょうか。

 
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