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のぞき松。

近づくとそれは、無人の売店、舟の船頭さん達が乗り移ってさっそく商売開始。  

ノンベーが少なかったのか、売れ行きは今ひとつの様でした。    

こちらのコースは、流れが緩いせいか、帰り船は陸送ではなく船外機で帰る様です。

やがて、唐笠港へ無事に到着。   アヒルに猫に多数のお出迎えがあります。諏訪湖は標高759m、天竜峡は400mぐらいだそうですが、なぜか終着駅のあたりはなかなかの紅葉でした。

今日の昼飯は、下条村の道の駅・そばの城でいただく事になりました。

  メインはお蕎麦、なかには殿様御膳なる豪華版もありました。

食事の後は、近くのおいしいもの屋で今晩の食材を調達。

旧小笠原家書院:国重要文化財  

城壁の脇の道を上ります。

午後からは、伊豆木にある小笠原氏の書院を見に出かけます。  

 伊豆木は、伊那街道(国道153)と遠州街道(国道151)の間にあり、

道の駅から来るにはちょっと分かりにくい所にありました。 

 興徳寺(小笠原氏の菩提寺)前の駐車場は、広くて案内もありわかりましたが、

書院は道をちょっと奥に入った所にあり、探すのに苦労しました。  

 かっては、上の広い平らに館がずらっと建っていたそうですが、明治5年の帰農の際に取り壊され、

住居としてしばらく使っていた書院だけが残っているそうです。   

館は、江戸初期に信濃に戻った小笠原長臣が館として伊豆木の城跡に建てたものだそうです。

大手橋を渡った所で、お茶の花が我々を迎えてくれます。

唐破風の玄関は、以前は御用所の正面にあったものだそうですが明治の初めにここに移したものだそうです。

  正面虹梁には、旗本の玄関らしく家紋の三階菱が飾られていました。

院内は、管理人(久保田さんかな)さんが、流暢な飯田弁で案内してくださいました。 

  書院は、清水寺同様の懸造りで、崖にせり出して造られています。  

 玄関の板戸は舞良戸と言って書院に使われるものだそうです。

竹の節欄間。       南の間、天井は格子天井、欄間は大菱欄間。    

回廊の下は、外に雨戸がこの頃から付けられる様になったそうですが、上は障子張り。 

 台風にも、桟が太くなっておりもちこたえるそうです。

一の間との堺は杉戸で仕切られ、格式の高さを示したものだそうです。     

銭型の釘隠し。      釘隠しの本物は、盗難にあって後に復刻して作ったものだそうです。 

一の間の付け書院。

北の間には、色んな史料が置かれていました。 

 なかには、武田信玄の継室・三条の方(三条公頼の養女・華子)13才で嫁ぐ時に

乗ったとされる輿が置かれていました。  

長臣が、信玄の家臣であった時にでももらったものでしょうか。

奥の蔵は当時のもの。    手前の厠は明治5年に造られたものだそうです。

古い建築は柱を見るとわかるそうです。  

 普通の柱なら、面取りされた面の幅が柱の幅の1/11、この柱なら小指より大きければ、380年ぐらいだそうです。

  玄関の大柱なら、親指ぐらいだそうです。

   
 
   
 
   

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