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武井武雄の生家:

小口薬師堂へ行く途中、広円寺の近くに童画家・武井武雄(作品はイルフ童画館に展示されています。)

の生まれた家があるという事で見に出かけました。 

 家の方は焼けてしまったそうですが、立派な門だけが残っていました。 

 生家は武家屋敷で、元禄時代に造られたものだそうで、諏訪にはここしか残っていないそうです。

  当時、ここから高島城までかようのでは、通勤もなかなか大変だったと思われます。

近くに武井武雄の墓があるという事で、そちらも見に出かけまた。武井家の裏にある、

八幡郊処の作った碑を見学して、向かいのお宮へ向かいます。

境内の大きな木はハナノキというのだそで、綺麗な花が咲くそうです。  

武井武雄の墓は、さらに奥にある墓地にありました。

ここは、武井家の墓石が多い様で、かなり古くからの墓石が立ち並ぶ中に、

斬新な形をした武井武雄の墓がありました。 

 

 
乾宮山宗平寺:    
   

最後のよりみちは、宗平寺の跡です。   

ここ小井川は、横川の脇にあり、昔は良く氾濫したそうで、追川と呼ばれていたそうです。 

 そんな所に、宗平寺が有ったそうですが、

かっては七堂伽藍を構えた立派なお寺だったそうです。  

今は、横川の縁に宗平寺公園として、その寺跡が残っているだけです。

観音堂・小井川公民館・この二っはそれぞれ、七堂伽藍が有った所だそうで、

公民館の方は江戸時代には、寺子屋でもあったそうです。   

それにしても、七堂伽藍を入れると宗平寺とは非常に大きな寺であったと思われます。

   

宗平寺は、織田信長によって、焼かれてしまったそうで、

その後再建されず現在は寺跡のみ残っているようですが、

そんな中で当時から残っている三つの搭がありました。 

 一番右手の大きな搭には、二枚の板碑が納められていました。 

 板碑(阿弥陀三尊)は、板石塔婆で埼玉でとれる緑泥片岩の塔婆で、

ここのは、死者の供養の追善供養搭だそうです。

今日の食事会は、2006年のマリオ倶楽部最後とあって、忘年会もかねて行われました。  

 この一年を、振り返って、横山先生、熊沢会長の解説付きでスライドを楽しみました。 

  それにしても、この一年良くいろんな所を回ったものです。 

 横山先生、今年もありがとうございました。 

新年のマリオ倶楽部は、雪の千畳敷カールから始まる様で、また来年も楽しみな

コースが待ち構えていそうです。  

皆さん、どうぞ良いお年を。  

来年もまた元気で、よろしくお願いいたします。

 

 
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