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内陣を守る十二神将。  

 

あれ、十二神将が守るのは、薬師如来じゃなかったっけ。

この天井は、明治の廃仏毀釈の折に、上社の神宮寺普賢堂から移築されたものだそうです。 

  本尊の阿弥陀如来は、足を一歩踏み出した形の立像で、京都・永観堂の

みかえり阿弥陀と同じ遊足形の阿弥陀さまだそうです。  

様式は、鎌倉時代の様式と古いのですが、作られたのは江戸時代初期のものだそうです。 

 

堂内にも、多くの篆刻の作品が、飾ってありました。   

ここ西堀村には、江戸時代には私塾の無事庵が有ったとかで、

古くから多くの文人が育ったのだそうです。

(新築された無事庵は、当寺の入り口にありました。)  

 

 
小口薬師堂:    

次の訪問先は、小口薬師堂です。  

こちらは、秋宮を造った立川流二代富昌の60歳を過ぎてからの、晩年の作で、名作の一つだそうです。

  元々ここに祀られていたのは、阿弥陀様で、もとは阿弥陀堂だったそうですが

、薬師信仰が盛んになって、阿弥陀様も薬師如来に変身(中指の曲がりを、

薬指の曲がりに改造)され、以後薬師堂となったのだそうです。

   
お堂の入り口に座って居られるのは、オビンヅルサマと呼ばれるのだそうで、民間信仰の神だそうです。

庚神塚。  鶏2羽と3猿の彫り物があります。   岡谷で一番古い道祖神。

  いずれも、コンポータ(何のオマジナイかな?)の石で開けられた穴が幾つも掘られていました。 

 横山先生の遊び場でもあった様です。       

   
   
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