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ニガナ。  白いのもありました。

タカトウダイはシャングリラにも咲いていたそうです。

 

頂上につきましたが、諏訪側はガスの中、時折諏訪湖が薄っすらと見えます。  

 そんな諏訪湖を見ながら先生に、デイダラボッチの話をしていただきます。  

高ボッチはデイダラボッチが腰掛けた時に出来たお尻の形をしているのだそうで、

峠の下の石積みのあたりにその時の足跡が残っているのだそうです。 

もう一つは鉢伏山の方にあるそうです。

下りはすっかりガスの中。

金峯山牛伏寺:真言宗智山派  

 

 

ツクバネウツギ。

帰りは崖の湯へと、さらに急な道を下ります。  

途中横山先生がバスを止めて、教材を取ってこられました。  

教材は、サワギク、ヒメウツギ、アカザ、そしてツクバネウツギ、それとおまけのシャクトリ虫。

シャクトリ虫はヒカゲ蝶になるそうです。

バスは、ダムの上の駐車場まで上りました。  

そこから参道を上ります。   

 駐車場の近くには、安倍能成氏の『山静かにして太古に似たり、・・』

の碑が立っていました。

牛伏川はかつては、荒れる川だったそうですが、ダムが出来てからは治まったそうです。

オシドリも居て、湖の近くの木の洞穴に玉子を生み、雛がまだ小さいうちに湖に落とすのだそうです。

先生が見つけたのは、梅の木苔。   

さっそく、質問が飛びます。     

参道の杉の大木には、ムササビの穴がいっぱい見つかります。

参道を上って行くと、左手に『牛堂』と書かれた小さなお堂がありました。  

中には、阿弥陀如来をかこんで黒と赤の二頭の牛が座っていました。  

牛伏寺は飛鳥時代に開かれたお寺だそうで、かっては普賢院威徳坊といわれていたそうですが、

奈良時代に唐から善光寺に大般若経600巻を運んで来たところ、ここで二頭の牛が倒れたため、

この寺に経典を納める事にしたのだそうで、その後寺は牛伏寺と改名したのだそうです。

スラッと立った六地蔵、皆違う仕草をしています。

冠木門からは、石段を上ります。 

入場門。  入場門の扉には、大きな諏訪家の家紋がついていました。

かっては、大阪夏の陣の功績で、この地も高島藩の所領になつたのだそうで、

下の街道はその時の五千石の分配にちなんで付けられたのか、五千石街道と呼ばれ、

物資の運搬に使われたそうです。

牛伏寺の建物は、寛政の大火の後に立てられたものがほとんどだそうで、

江戸時代のものが多いのだそうです。

江戸時代のお寺が廃仏稀釈にも合わずに残ったのは、山奥に有ったのと、

ここが高島藩の所領であったからだそうです。

如意輪観世音菩薩、藤原時代のものだそうで、県宝にも指定されているそうです。

如意輪堂の前で仁王門への道を守る二頭の牛。
仁王門への急な石段。

いずれも、江戸時代のもので仁王門は市の重要文化財に指定されているそうです。

立派な宝篋印塔の脇の石段を上ると、厄除けの鐘と聖徳太子殿がありました。  

ここで、なんで聖徳太子が出てくるのかとおもったら、このお寺の始まりは、

聖徳太子が自ら刻んだ観音像を本尊としているからかもしれません。

   
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