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再び庫裏にもどって、お茶を御馳走になりながら、茅野の住みよさ、

国宝の縄文のビーナス、重文の仮面のビーナスの話等していただきました。

庫裏の入り口には、大きな魚版がありました。  

胴体が空洞なのは魚鼓というのだそうです。  

頼岳寺は、今はやっていないそうですが、地域の修行寺としての役割をになっていたのだそうで、

これも元々は座禅堂の前にあって、食事の合図等に使われていたものだそうです。   

寺にあって何で魚の形をしているのかというと、肉、魚が食せない恨みではなく、

魚の群れる習性、寝る時も目をあけているのが、寝ずの修行に通じるということで、

魚を修行の手本にしたのだそうです。

境内には、新しく梶の木を植えたそうで、そこまで案内してくださいました。  

 梶の木は、桑科の植物だそうで、ちょうど桑の実に似た実がなっていました。   

本堂左手をちょっと上った所に、諏訪氏頼岳寺御廟所はあります。  

赤い建物に守られて、左から頼水(頼岳寺殿昊窓映林大居士)、

中央が父・頼忠(永明寺殿西周宗昌大居士)、右が母・(理昌院殿玉英貞珠大姉)の墓だそうで、

三つが一つの長屋の様な建物に納められていました。

理昌院の中。
   

境内にあった、シナノキ。  

菩提樹かという話もありましたが、葉が心円形なので、シナノキの様です。  

葉の様な、苞の中央から花が下がる、ちょっと面白い形をしていました。

神向山頼重院:曹洞宗  
   

頼岳寺を出て、旧道を諏訪に向かいます。  

諏訪に入って間もなく、左に神戸の立派な公民館の所でバスを降りて、右の坂を上った所が頼重院です。

上の駐車場に向かう途中に、上原城主諏訪頼重公廟所の大きな碑がでてきました。   

駐車場のところで、先生に頼重院の話をしていただきます。

道も、建物もみな新しくなってしまった様で、お寺は立派な建物でしたが、

なんとなく落ちつかない感じで、頼重院としての趣が出るには、まだしばらくはかかりそうでした。

ただ、山門は、古いままなのか、なかなかの趣をだしていました。

伺った時は、御住職はちょうど松の手入れの最中でした。  

手を休めて降りてきていただき、お寺の説明をしていただきました。

頼重の墓は甲府の東光寺にあるのだそうですが、そちらには胴体があり、首の方はこちらに運ばれ、

この岩の上に葬られた時、無念さのあまり岩が7つに割れたといわれているのだそうです。

   

頼重(頼重院一気通洪禅定門)の供養とうの宝篋印塔は、新しく作られた墓と供養塔の脇に移されていました。

新田次郎の碑。  新田次郎の碑は、阿智村駒場の長岳寺にも信玄公火葬塚としてあるそうです。

お寺を下った公民館の前に、昔懐かしい温泉場が残っていました。  

神戸温泉だそうです。 

旧道は途中工事中で迂回路をバスは走ります。  

道もさらに細くなり、運転手さんの巧みなハンドルサバキに皆さん思わず拍手。  

最後まで雨にもあわず、予定時間どおりにマリオさんに戻ってくることができました。  

まずは、乾杯。  今日の献立は、鰹のサラダ仕立てにポテトの冷製スープで始まります。

熊沢会長の小澤氏の系譜の資料を基にした、

諏訪頼重から頼水にいたる諏訪氏の歴史の話をお聞きしながらの食事会となりました。

左のテーブルの上に乗っているのは、頼岳寺さんのシナノキの蕾です。  

来年の大河ドラマは武田信玄だそうですが、おかげで信玄、諏訪氏にまつわる勉強がかなり進んだ様です。

   
   
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